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輝かしい道のり――革命時期

2011-06-14 16:24:29     cri    

 はじめに

 中国共産党が1921年に創立されてから、すでに90年の歳月が過ぎました。この長い間に、民族の独立と人民の解放を獲得し、国家の富強と人民の豊かさを実現するために、中国共産党は様々な困難を乗り越え、素晴らしい成果を上げてきました。

 新民主主義革命の時期に、帝国主義と封建制度に対抗するため、中国共産党は人民の軍隊を作り上げ、国民党や日本からの侵略者と闘争を続け、やがて人民が支配する中華人民共和国を建国しました。

 建国後、中国共産党は中国人民をリードし、短期間の内に、農業、手工業、資本主義商工業の社会主義化改造を達成し、中国を新民主主義社会から社会主義社会に転換しました。さらに国際社会では、新中国が国連の議席を回復しました。

 その後行われた改革開放と社会主義現代化建設の時期に、全国中が心を合わせて協力し、経済と建設を発展させるとともに生産を促進し、中国の特色を持つ社会主義市場経済を積極的に推進し、ややゆとりのある社会の基礎を築きました。

 国力が強まるとともに、香港とマカオは1990年代にそれぞれ中国に返還されました。21世紀に入り、中国はWTOに加入、そして、北京五輪と上海万博を見事に成功させました。

 これらすべてのことは、中国共産党がリードする中国の革命と建設が、歴史と人民の選択であったことを物語っています。

 一、輝かしい道のり

 (一)革命時期

 1911年10月10日、清の末期、革命軍人が湖北省の武漢で武装蜂起して、全国規模の大革命を引き起こし、清王朝の統治と2000年来の封建制を終息させました。辛亥革命と呼ばれるこの革命により民主共和国の思想が人々の心に深く入り、社会進歩の扉を開きました。そして、国民の思想開放を促進し、それからの革命闘争の発展や、とくに中国共産党がリードした新民主主義革命のための道を切り開きました。

 

 陳独秀(1879-1942)、安徽省出身。雑誌『新青年』を創刊し、中国新文化運動を展開、中国新文化啓蒙運動の先駆者、五四運動の指導者となり、そして、中国共産党設立者の一人となりました。中国共産党第1回全国代表大会で総書記に選出されました。

 1920年代に中国でもっとも影響力を持った雑誌『新青年』です。1915年9月に、陳独秀によって上海で創刊され、民主と科学を提唱し、マルクス主義を広めることに力が入れられました。そして、『新青年』の誕生は、中国で空前の新文化運動を引き起こしました。当時出版された『毎週評論』とともに、進歩的な思想が紹介され、中国でのマルクス主義普及の基礎を築きました。

 1919年5月4日、北京の学生3000人あまりが天安門広場で集まり、デモ行進をしました。五四運動は中国新民主主義革命の発端となり、その歴史的な意義は、徹底的に妥協しないで帝国主義と封建制に反対したところにあります。五四運動は中国でのマルクス主義の普及に大きな役割を果たし、その後の新文化運動では、社会主義への研究と宣伝が進歩思想界の主流となりました。

 中国共産党第1次全国代表大会は、1921年7月23日から7月30日まで上海市のフランス租界内の貝勒路樹徳里3号(現在の興業路76号)で行われました。そして、各省の代表者12人が出席しました。30日の夜に租界の巡査に気づかれ、会議が一時中断されましたが、代表はそれぞれ浙江省嘉興の南湖に移動し、一隻の船の中で、最後の会議を行いました。写真はこの船の複製品です。

 毛沢東(1893-1976)、湖南省湘潭出身。長沙の代表として中国共産党第1次全国代表大会に参加しました。大会では党の正式名称を「中国共産党」と決定し、綱領を「革命軍隊はプロレタリア階級とともに資本家階級を倒さなければならない」、「階級闘争が終わるまでは、プロレタリア独裁を認める」、「資本家私有制を消滅」、そして第三国際と連合するとしています。またこの大会では、労働者運動の指導、労働組合の組織、労働者の教育に力を集中することも決められました。

 写真は1920年11月、陳独秀の主導により、上海共産主義グループが『中国共産党宣言』を起草した時のものです。1922年7月、中国共産党第2次全国代表大会が上海で行われました。大会では、レ-ニンの民族問題や植民地問題についての理論と、中国の半殖民地半封建制の状況に鑑み、党の最高綱領と最低綱領を制定し、『中国共産党宣言』を採択しました。

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