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楓橋夜泊

2011-03-23 13:49:16     cri    

 楓橋夜泊寒山寺は、中唐の詩人で政治家でもあった張継の七言絶句「楓橋夜泊」によって広く知られている。この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものである。

 月落烏啼霜満天、
 月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ

 江楓漁火対愁眠。
 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す

 姑蘇城外寒山寺、
 姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)

 夜半鐘聲到客船。
 夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る

(意味)

 月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。

 運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。

 そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、

 夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。

 日本でよく読まれた漢詩の選集には『唐詩選』と『三体詩』があったが、「楓橋夜泊」はその両方に収載される数少ない詩のひとつであったことから、中国人はもとより、日本人にも古くから馴染み深い詩となっている。この詩がひろく人びとから愛好されるようになってから、歴代の詩人が次々に寒山寺を訪れて続作を詩に詠んでいる。

 欧陽修による批評

 宋の欧陽修が「句は秀逸であるが、夜中とは鐘を打つ時ではない」と評したため、「夜半鐘聲」をめぐって様々な議論が出た。しかし、その後、于鵠や白居易の詩のなかに「半夜鐘」の語がみえるなど、夜中に鐘が鳴ると詠じた唐詩の例がたくさんあるとの反論が出た。唐代には夜中に時刻を知らせる鐘を鳴らすことがあり、宋代にはそうした習慣は消えたようである。

 詩碑

 寒山寺には、明代に「三絶」と呼ばれた蘇州の文人文徴明の筆になる「楓橋夜泊」の詩を刻んだ石碑があり、明・清代の人びとはその拓本を購買したが、長い年月のため損耗してきたので清末の光緒年間に学者俞樾が彫りなおした。境内には俞樾の翻刻碑がある。その他、境内のいたる処に詩碑があり、なかでも「寒山寺碑廊」には多くの拓本が並ぶ。文物としては、「碑廊」と称する特別の部屋に置かれた歴代の石碑の価値が高く、文微明や俞樾、劉海栗らの碑がある。拓本は寒山寺参詣の土産として人気が高い。なお、寺域外であるが、鉄鈴関(後述)のそばに「楓橋詩碑廊」があり、これはおもに現代の書家によるものである。

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