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「江西省の魅力を知ろう」その二 景徳鎮 

2011-02-24 09:02:41     cri    

中国陶磁器の故郷、景徳鎮を訪ねる

 景徳鎮という名前は国内のみならず世界でも知られています。ここは中国の陶磁器の故郷です。製陶の歴史は1000年ほどです。英語のchinaには、二つの意味があります。一つは、中国を指し、もう一つは陶磁器を指します。Chinaという言葉は景徳鎮とどんな関係があるのでしょうか。これについて景徳鎮観光局のろ寧生局長は次のように紹介してくれました。























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 「景徳鎮は元は、新平鎮と呼ばれていましたが、唐の時代に昌南鎮と改名されました。宋の時代に入り、ここでつくられた陶磁器が朝廷に献上されるようになりました。当時の皇帝が、当時の年号、景徳を昌南鎮に授けたため、昌南鎮は景徳鎮と改名されたのです」

 では、なぜ、Chinaという言葉が陶磁器を指すようになったのでしょうか。昔、陶磁器は西洋にも運ばれました。西洋人が「この美しい器はどこでつくられているのか?」と尋ねたところ、ある人が「昌南だよ」と答えま した。この時、尋ねた西洋人には、昌南の発音がChinaと聞こえたのです。このためChinaは陶磁器を指す言葉となりました。アルファベッドで表記する場合、頭文字のCを大文字で表記した場合、これは中国という意味で、小文字のCの場合は、陶磁器のことです。

   

 景徳鎮には陶磁器を焼きあげる窯がたくさんあり、全国から優秀な職人たちが集まってきました。清の時代に景徳鎮で作られた陶磁器は、ほとんどは民間で使用されていました。そして一部は宮廷におさめられたほか、一部は海外に輸出されました。

 いろいろな種類の陶磁器が箱に詰められ、大きな舟に載せられ、昌江を出発してハ陽湖と長江を経由して海へと出ます。海を渡って、世界各地に販売されました。このように海上では、陶磁器航路が形成されました。これは陸上のシルクロードと並んで東洋と西洋の文化交流の重要な道となりました。

 数百年前、西洋人はこれらの美しい陶磁器を通して、中国を知り、興味をかきたてられました。彼らは、陶磁器に描かれた中国式の庭園や、人物そして物語を模倣しそのデザインを自らの陶磁器に取り入れました。この頃、西洋では、家に中国の陶磁器を置くことは、その身分と財産を示すことでした。数百年前に景徳鎮の職人が作った陶磁器は今でも残っており大切に収蔵されています。2010年11月ロンドンの郊外で行われた個人コレクションのオークションで、清乾隆帝時代の景徳鎮の花瓶が5160万ポンド(5.5億元)で落札されました。中国古代の陶磁器は、世界の芸術品オークションで記録的な価格で落札されています。はるか昔、西洋人に珍重された陶磁器は、今でもその輝きを失わず、人々を魅了し続けています。

 さて、景徳鎮では陶磁器は一体どのように作られているのでしょうか。この疑問を解くために、景徳鎮の古代窯民俗博覧館にやってきました。ここでは昔の陶磁器作りの様子が見られます。この博覧館では10数人の職人たちが古代の方法、つまり手作業で陶磁器を作っています。製作プロセスには、生地作り、乾燥、一次焼成、絵付け(絵の具の調合、釉薬の調合)、2次焼成、仕上げなどがあります。このような一連の製作手順は国の無形文化遺産に指定されており、職人たちは無形文化遺産の伝承者です。

    

 お碗、お皿などの丸い陶磁器は、ロクロと呼ばれる回転台を使用してつくります。廻旋しているロクロに熟成した粘土を載せて、粘土を引き上げながら、お碗とお皿の形をつくっていきます。

 数十回のプロセスを経て、やっと陶磁器の形が現れてきます。最初の粘土はほとんど削られ、ごく一部が残されました。

 手で成形された陶磁器は窯で焼かれて初めて陶磁器になります。これは陶磁器作りの過程で一番神秘的な段階で、出来上がりが美しくなるかどうかの鍵となります。現地では陶磁器が「窯に入る前は一色だが、窯から出れば多彩になる」と言い方があります。陶磁器の生地に塗られた釉薬は、窯で高い温度で焼かれ、美しい色へと変わります。

 古代窯民俗博覧館では、大きな焼き窯があります。この窯は200年前の清の時代に作られ、薪を燃やして陶磁器を焼くのです。これについて、景徳鎮国家文物博物館研究員の周栄林さんは、次のように紹介してくれました。

 「当時、景徳鎮の窯製作の技術は世界でも最高レベルでした。この窯は景徳鎮で陶磁器製作に従事している職員が作ったものです。2009年に世界最大の薪燃料の窯としてギネスブックに登録されました。この窯の容量は260立方メートルで、世界各地で収蔵されている中国の清の時代の陶磁器は全てこのような窯で焼かれました。この窯作りの技術は国際的な無形文化遺産です」

 景徳鎮は伝統的な製陶技術を保ちながら、近代的な要素も陶磁器作りに取り入れています。その例を三宝村という村に見ることができます。

 三宝村は景徳鎮の東南部10キロ離れた山の奥にあり、とても静かなところです。農家に製陶工房があります。工房の庭には、小川が流れ、陶磁器の破片があちこちに落ちています。

 李見深さんは、三宝国際陶芸村の創設者です。李さんはかつて海外に長年暮らし、数年前に故郷の景徳鎮に戻りました。海外での勉強・研究の結果、陶磁器がどんなものかようやくわかったと李さんは言います。李さんは、ここで昔ながらの製陶工房を作って、昔の作業風景を再現しました。屋内には村人が20数年前に使っていた生産と生活道具が置かれています。職人は今もここで昔ながらの製陶方法で陶磁器を作っています。

 2000年、三宝国際陶芸村がオープンし、海外にも知られるようになりました。ここをめざしてやってくる外国人がますます増えています。中には、外国の有名な陶芸家もいて、彼らは、ここに住み込み、中国の製陶技術を研究しています。西洋の製陶技術と東洋の製陶技術がここで融合し、数多くの新しい作品が生まれました。

 中国江蘇省の民謡「ジャスミン」は、いろいろな楽器で演奏されことがありますが、陶磁器で演奏されているジャスミンのメロディは初めて陶磁器で演奏された曲です。

 陶磁器は鑑賞と日常品として使用されるほか、楽器としても使われ、馬頭琴、編鐘、太鼓、笛などがあります。陶磁器の楽器を作るのはとても難しいそうです。これについて、ガイドの李萍さんは次のように話してくれました。

 「私たちは1985年から陶磁器の楽器を作りはじめました。甌(ほとぎ)という、まるくふくれた形をした打楽器が最初につくった楽器なんですが、数万個の器から選びました。焼いた陶磁器を磨き、音のいいものを選びました。技術的な面では、例えば器に穴をあけるのは非常に難しい作業です。正確にあけないと、すぐ割れてしまいます」

 景徳鎮は数千年にわたり、一つの産業が支えてきた町です。これは奇跡です。皆さんもし時間があればぜひ中国の陶磁器の故郷、景徳鎮を訪れてください。 (担当:任春生)

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