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アジアパラ競技大会の歴史

2010-12-10 12:46:41     cri    
 アジアパラ競技大会の歴史

 アジアパラ競技大会の前身は極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(FESPIC)です。

 第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1975年6月1日から3日まで日本の大分で行われました。18の国から参加した973名の選手が8つの競技を行いました。

 第2回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1977年11月20日から26日までオーストラリアで行われました。16の国から430名の選手が参加しました。

 第3回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1982年10月31日から11月7日まで香港で行われました。23の国から744名の選手が参加しました。

 第4回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1986年8月31日から9月7日までインドネシアで行われました。19の国から834名の選手が参加しました。

 第5回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1989年9月15日から20日まで日本の神戸で行われました。41の国から参加した1646名の選手が13の主な競技と515項目のそのほかの競技を行いました。

 第6回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1994年9月4日から10日まで中国の北京で行われました。42の国から2081名の選手が参加しました。

 第7回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は1999年1月10日から16日までタイのバンコクで行われました。34の国から2258名の選手が参加しました。また、この競技大会は初めて国際パラリンピック委員会(IPC)の公認を得ました。

 第8回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は2002年10月26日から11月1日まで韓国の釜山(プサン)で行われました。40の国から2199名の選手が参加しました。競われた17競技のうち、16競技が国際パラリンピック委員会の公認を得ました。

 第9回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会は2006年11月25日から12月1日までマレーシアのクアラルンプールで行われました。46の国から2346名の選手と1295名のチームスタッフが参加しました。この競技大会はこれまでで最も大きい規模となりました。このあと、極東・南太平洋障害者スポーツ連盟と国際パラリンピック理事会が合併したことにより、アジアパラリンピック委員会が成立しました。

 APC アジアパラリンピック委員会

 2002年10月30日に国際パラリンピック委員会(IPC)の地域委員会のひとつとして韓国のプサンで設立されましたが、 2005年1月1日より従来のIPCアジア地域と中東地域が合併し、全アジア地域の代表団体として活動を開始しました。

 その後2006年11月27日、フェスピック連盟とアジアパラリンピック評議会(旧APC)が解散し、翌28日に二つの組織が合併して、アジアパラリンピック委員会(APC)が正式に発足しました。アジア地域における障害者スポーツの開発・普及を目的としています。

 マレーシアのザイナル・アブ・ザリン氏が初代会長に当選しました。

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