姉妹都市提携に寄せる期待
19カ国の33都市と姉妹都市提携をしている無錫市。このうち、日本の神奈川県相模原市との友好関係は1985年10月に遡ります。両市の大学関係者の交流からスタートした市民交流は、姉妹都市関係の締結という成果を生みました。
これまでの25年間、この二市は教育、文化など様々な分野で市民交流を展開してきました。今年は、無錫市から初めて派遣される市民代表団が、年内にも相模原市を訪れる予定です。
10月下旬、無錫で開かれた第5回国際友好都市交流会議に、相模原市の加山俊夫市長は、経済界、産業界、スポーツ界、文化界からなる総勢55人の訪問団を率いて出席しました。
一方は「高度成長の申し子」として誕生しながら、現在は少子高齢化に悩まされる先進国の産業都市。もう一方は一人当たりGDPが1万ドル台を超え、今もなお高度成長が続く新興都市。姉妹都市交流に寄せた期待などについて、加山市長に無錫でインタビューしました。
■中国の都市整備のスピードに学びたい
――相模原市と無錫市の姉妹都市提携が結ばれた当時、加山さんはどのようなお仕事をしていましたか。
当時私は40歳で、市役所で都市整備と経済政策の仕事をしていました。
相模原市と無錫市の交流はこれまでの25年、着実に成果を上げてきていると思います。
私たちの場合、中学生を主体にしたスポーツ交流や教育関係の交流に力を入れており、また、日中交流協会という団体を中心に文化交流も盛んに行っています。これまでにのべ36回の訪中団が結成され、無錫をはじめ中国の様々なところを回りました。文化や経済成長を含む様々な都市政策を日本、または相模原市の参考にさせていただくということでも成果が上がっています。
――「日本または相模原市の参考にさせてもらう」とおっしゃいましたが、具体的にはどのようなことを指していますか。
都市の持続可能な発展の政策というと、どうしても産業政策が中心になると思われがちですが、やはり究極の目的はそこに住む人たちが幸せに、安全に暮らせる地域社会の創出にあると思います。
そのための手段として、世界各国で様々な取り組みがなされていますが、中国は非常に長い歴史と文化がある一方、急激に進むグローバリゼーションの中、どういう革新をしなければならないかという点で言えば、短期間で良い方向に整備が進んでいると思います。
これに比べて、日本の場合、固定概念があって、それを変えると良い方向に行くだろうと誰もが思っても、その考え方を具体的な都市整備や政策に結びつけようとすると時間がかかる。対応のスピードという面では、日中で大きな違いがあり、まず、そういった点を学ばなければならないと思います。
■幸せに、安全に暮らせる地域社会を
――2007年、市長選に出馬した時は、どのような抱負を抱いていたのでしょうか。
市民が住みやすい環境を作ることが自治体の大きな使命です。その基本的な原則を忘れずに、政策をその時代時代に合うよう進めていくことが、私に課せられた仕事だと思います。
相模原市は56年の歴史しかありませんが、私はそのうち40年、市の職員をやっていました。日本は第二次世界大戦に負け、復興には100年、200年もかかると言われていましたが、日本人は勤勉で、真面目で、一生懸命に頑張ろうという意識があり、産業立国を目指して高度成長を実現しました。相模原市はまさにそうした過程で誕生した高度成長の申し子と言えます。それまでは農業が中心でしたが、工業都市をめざそうと先輩たちが工業団地等を作り、2000社以上の企業の誘致に成功しました。それに合わせて、住宅が整備され、市の人口がどんどん拡大し、学校、医療機関、下水道など都市のインフラ整備と商業、文化施設といった生活インフラの整備もしなければならない。そのために財政がマイナスになりながらも、私たち職員は死に物狂いで頑張っていました。
相模原市には3万人の障害者の方がいますが、その支援策を充実してきたことで、涙を流して喜んでいただけたのがほんとに嬉しいですね。パワーの源です。これからもこの方たちのために頑張ろうと思っています。
――「住民が幸せに、安全に暮らせる地域社会」とおっしゃっていましたが、「幸せ」の中身とは何なんでしょうか、また、それに向けての相模原市の取り組みにはどんなものがありますか。
これは世界的な課題でもあると思いますが、今、日本では高齢化が進んでいます。高齢者はそれぞれの国の歴史や都市基盤をつくってきた人たちです。彼らが余生を楽しむ時、医療や生活費のことを心配するようでは困るわけです。
日本の場合、出生率が下がり、高齢者を支える若者の人数が減ってきています。そのため、増大する社会保障費を財政構造上どのように確保していくのかが、大きな問題になっています。それに向けた経済政策や産業政策は付加価値の低いものでは困るので、ハイテク型で、イノベーションに対応する産業集積が必要になります。そういうわけで、相模原市はとくに研究開発型、ものをつくるだけでなく、将来のためのシステムや研究開発をする企業をなるべく集約していきたいと思っています。
■無錫との交流 相模原市民の意識向上に期待
――ところで、今回は2年ぶりに無錫を訪れたそうですね。
はい。この2年でもう町の様子が全部変わりましたね。そして、今、生きる人たちの色んな考え方もあるけど、将来を担う次世代のためにやっているというのを非常に感じますね。このスピードが羨ましくて、2年前に無錫で市民の方々と交流した時に、「できることなら、無錫の市長をやらせていただきたいなと思いましたよ」とお話させていただきました(笑)。
――相模原と無錫が姉妹都市交流をする上での共通した土台をどのように考えていますか?
相模原市は戦後できた新興都市であるのに対して、無錫市は歴史のある都市ですが、互いに抱える問題点は共通しているので、非常に良い友好都市交流ができていると思います。
無錫市は太湖に代表されるように、人、自然、産業が共生をしている都市ですが、相模原市にも湖が3つあり、自然が豊かな上、産業が栄えていて、日本の内陸工業都市としてはトップクラスにあります。そういった意味では、無錫市と共通しています。
――姉妹都市交流に対するご期待、また、市民交流の意義についてどのようにお考えですか。
行政がこうあるべきだろうと考えて市民たちに提案しますが、市民の方々に同じ気持ちを持っていただかなければならない。相模原市の市民がこちらに来て、私が申し上げたような感じ方で感じていただき、自分たちの相模原市をどうしていこうかと言う部分で意識が高まっていけばと思っています。
また、日本また相模原市は悪いことばかりではありませんので、日本または相模原市が培ってきた歴史、文化また市民生活の良さを無錫や中国の人たちに感じていただければ、これはお互いの発展につながるのではないかなと思います。
■日本と中国、幸せを享受できる関係を
――今年に入ってから、日本を訪れる中国人観光客が大幅に伸びましたが、こういった動きをどのようにご覧になりますか。
リーマンショック以降、日本の成長戦略の中で、観光立国という政策を考えています。そのために相模原市も観光対策をしっかりやっていきたいと思っています。今年から、中国の方たちの観光ビザの条件などが緩和されましたが、特に中国の方たちに日本に来ていただけば、日本の文化を通して、色んな面で交流が盛んになりますので、互いの発展につながります。ただ物見遊山で遊びに来るのではなく、互いの良さを感じ取っていただく、文化を吸収していただくことが無形の財産につながると思います。
相模原市もおもてなしの心を持ちまして、ぜひ中国の方たちに来ていたき、歓迎する中で、観光振興を進めていきたいと思っています。
――最後に、今後の日中関係に期待することは?
日中間に限らず、地球上の国々はお互いに発展でき、幸せが享受できる関係を作っていくことが大事ではないでしょうか。その中で、お互いに切磋琢磨する競争原理も必要ですが、過度な要求をして、自分たちの国だけが幸せになれば良いという考えをなくすべきではないかと思います。お互いにウィンウィンの関係を築き、共存共栄してこそ地球が守られると思います。(聞き手:王小燕)
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |