上海市古文書館の万博資料募集窓口に2010年5月28日、一枚の写真資料が送られてきました。写真に写っているのは1911年にイタリアで開かれたトリノ万国博覧会(以下、トリノ万博)の栄誉証書。送り主は、無錫に住む陶淇(とう・き)さん(85)です。
上海市古文書館は2009年末、同館が所蔵する最も古い万博資料を一般公開しました。しかし、陶さんが寄贈したトリノ万博に関する資料は、上海で当時所蔵されていたどの万博資料よりも古いものであることが分かりました。このため、陶さんの写真は上海市古文書館の万博関連資料の空白を埋めたといえます。
栄誉証書が写された写真の大きさは長さ62.4センチ、幅51センチ。証書に記されたイタリア語の文字をはっきりと読み取ることができます。そこには「トリノ万国博覧会 栄誉証書(1911年 トリノ市)、第20組第133類、江蘇省の陶達三殿に授与する」と記されています。そして、上の方には「イタリア王国建国50周年(1861―1911)」と記され、下の方には、農業工業貿易大臣、執行委員会議長、国際審判委員会本部主席、国際審判総書記の署名があります。文章の周りは油絵の技法で数人の人物や情景が描かれ、額縁はたくさんの国の国章で飾られています。
中国国際放送局記者のインタービューを受けている陶淇さん
証書の受賞者、陶達三(とう・たつざん)さんの長男に当たるのが、資料を寄贈した陶淇さんです。定年前は無錫の鉄鋼工場で技師長を務めていました。陶さんは記者に対し、「この写真は実物大で撮影したものです。実物はなんせ古いものなので、無くなってしまいました」と語りました。
陶さんの話によると、父親の達三さんは若いころ、藤田先生という日本人教師の紹介で、京都理工科専門学校に留学し、帰国後、南京高等師範学校で理科教師として働いていました。そして1910年6月5日、達三さんにとって人生の転機が訪れます。この日、中国近代史において、政府の主催で行われた初めての全国的な大型博覧会「南洋勧業会」が江蘇省南京市で盛大に行われました。半年にわたって開かれたこの博覧会には合わせて30万人以上が訪れ、海外からはアメリカ、イギリス、日本、ドイツ、東南アジア諸国などが参加しました。展示品は100万点に上るとされ、当時は「5千年に一度の盛典」とうたわれました。この博覧会に、達三さんは手作りの生物標本を出展したところ、大きな反響を呼び、なんと優勝に輝きました。その背景には当時、理科の授業で掛け図を用いることが多く、生物標本は大変珍しいものだったことがあります。この博覧会での優勝をきっかけとして、達三さんの生物標本は、中国代表としてトリノ万博に出展されることになりました。そして、みごと金メダルを獲得。栄誉証書はその時に授与されたものでした。
陶達三さんは幼いころ、私塾の講師をしていた父親について学び、無錫物理化学学校を卒業。清朝・光緒(こうしょ)帝の時代にあたる1903年、物理化学に関する研究会に参加し、日本人教師の藤田友彦さんと知り合いました。藤田さんの紹介で、日本京都理工科専門学校に留学。帰国後は南京高等師範学校で理科教師として働きました。当時としては画期的だった生物標本を達三さんが制作することができたのは、西洋の進んだ知識を積極的に取り入れる新式教育に携わっていたからだということです。
達三さんは教育事業に一生を捧げ、1951年2月に老衰でこの世を去りました。享年80歳でした。(翻訳:芋)
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