銅陵市の姚書記インタビュー後の記念撮影
今回、私が訪れたのは、安徽省の中南にある銅陵市です。安徽省の省人民政府が置かれている合肥から、バスで3時間ほど南下したところにあります。
その面積は1113平方キロメートルで、安徽省の中でも小さい市です。現在、74万人が生活しています。
長江のすぐ東にあるこの市は、長江の恩恵を受け発展してきました。そして何よりも市の特徴を示しているのはその名前です。「銅陵」は、「銅が産出する山」という意味です。ここは、遥か昔から、現在までの長い時間を経て「銅の都」としての地位を確立しました。
市内のあちこちで、このような青銅器のオブジェが見られる
銅の採掘の歴史は、今から遡ること3500年。商(殷)、周時代に始まりました。周辺からは、銅の採掘の跡や、実際に青銅器が出土し、その歴史を物語っています。青銅文化は、殷の遺跡が発見されてから、黄河流域の発展した古代文明の証として、知られていますが、各地で発掘が進むにつれ、長江流域でも同じように青銅器が多数出土し、文明の存在があった可能性が示されています。そんな古代の青銅器文明の源となった銅陵は、その後も銅を資源とし、産業を発展させ続けてきました。今では、銅のみならず、「銅陵の8つの宝」といわれる金、鉄、銀など多くの鉱山資源を産出するエリアとなっています。
銅陵では、毎年この時期に「青銅文化祭り」を開催しています。今年で11回目を迎えました。文化まつりの期間中は、青銅器に関するフォーラムや、展示会などが行われるそうです。
本日はさっそく銅陵の書記、姚玉舟氏にお話を伺ってきました。姚氏によると、今、銅陵は人々の生活水準も上がり、安定した時期に入り目を外へ向け始めて、国内、国外での知名度を上げることに意欲を注いでいます。「青銅文化祭り」もその一環で開かれています。
四喜人形と呼ばれる銅陵市の特産
経済の面でも対外開放を目指し、外資企業の誘致にも関心が高く、この点は姚氏も強調していました。
確かに市内は、規模は小さいながらも、デパートや商店が立ち並び、買い物を楽しむ人々でにぎわっており、生活の豊かさを感じました。建設中のマンションもあちこちで見かけましたし、新しい道路、鉄道の建設も進んでおり、地方都市の勢いが感じられました。
さらにこの後、銅陵のラジオ局とテレビ局を訪ねました。短い間でしたが会議が行われ、やはりここでも、他地域との協力の必要性を訴えていました。
かつて日本でも「町おこし」が盛んに言われた時期がありましたが、まさに中国はこれから、地方がそれぞれに強みを生かし、独自の発展をめざす段階に入り、それにつれメディアの役割もこれまで以上に重要になります。地域情報がうまく行き渡るようになれば、将来は、世界遺産や、雄大な自然景観がなくとも、地方都市そのものを楽しむために訪れる人も増えるかもしれません。
販売されている銅製品
さて、最後は実際の銅製品を販売する市場と、銅陵博物館を訪れ、「銅の都」の過去と現在を見てきました。
博物館では、古代の銅の採掘方法が人形や模型を使ってわかりやすく説明されています。実際に出土した青銅器も展示され、多くは西周、春秋時代のものです。青銅器は、完成した直後は金色に輝いていたため、当時は金と呼ばれていたそうです。金色は現代人の心もひきつける色ですが、古代の人々にとっては、まさに神のような美しさと感じられたのではないでしょうか。
この青銅器文化を受け継ぎ、銅産業は今でも健在です。市場では、小型のものから大型の銅製品まで制作、販売しており、大型のものは公園などに設置されるもの、博物館のレプリカなども制作しているそうです。北京市内にも、多くの銅像が置かれていますが、ここ銅陵市でつくったものもあるという話しを聞き、なんだかぐっと距離が近くなったように感じました。
明日も引き続き、銅陵市の魅力をお伝えしたいと思います。(取材/吉野綾子)
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