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50年代

2010-09-29 13:38:23     cri    
 1956年2月 著名な科学者の銭学森が中国共産党中央に「中国国防航空工業建設に関する意見」と題した提案書を提出。

 1956年3月 国務院が科学技術発展計画綱要(1956年~1967年)」(草案)を制定し、12年間で中国のジェットとロケット技術が独立した発展の道を歩むことを要求。

 1956年4月 中国の航空とロケット事業を管轄する中華人民共和国航空工業委員会を設置。

 1956年10月8日 中国初のロケット・ミサイル研究機構である国防省第5研究院が設立され、銭学森が院長に就任。

 1958年4月 中国初の搭載ロケット打上げセンター建設開始。

 1958年1月 国防省は「ジェットとロケット技術に関する発展計画綱要(1958年~1967年)」を制定。旧ソビエト連邦が初の人工衛星を打上げたことを受け、中国の著名な科学者たちが「中国は衛星研究活動を始めるべきだ」と提案した。また、一部の大学では関連学術活動も行われた。中国科学院では、銭学森、趙九章などの科学者が人工衛星を発展させる計画草案を作り、この計画は「五八一任務」と名づけられた。その後「五八一チーム」が発足し、3つの設計院が設置された。同年8月、第一設計院が作られ、11月、この設計院が上海に移転し、中国科学院上海機電設計院と改名された。

 1958年4月 中国初のミサイル実験基地の建設開始。

 1958年5月17日 毛沢東元主席が中国共産党第8回大会で、「我が国も人工衛星を研究すべき」と発言。

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