(写真:アルヒポフ夫婦)
アルヒポフ(1907~1998)―旧ソ連人。1950年から1958年まで旧ソ連の技術者を率いて中国に滞在。中国政務院(後の国務院)の経済総顧問を務めた。「中ソ友好メダル」を受賞。
入選理由:1950年代、中国政務院の経済総顧問および旧ソ連技術者の総責任者として中国に8年間滞在し、第1次5ヶ年計画の策定と実施に貢献した。1958年、周恩来首相の名義で感謝状と「中ソ友好メダル」を中国政府から授与された。1984年、旧ソ連政府代表団を率いて訪中し、経済、貿易、科学技術などの分野における協力、および中ソの国交回復を推進。1992年、ロ中友好協会名誉主席を務め、新中国の建設と中ソ、中ロ間の友好に大きな役割を果たした。
中国との縁:1907年5月1日に生まれる。1950年代、中国政務院の経済総顧問および旧ソ連技術者の総責任者として、中国に8年間滞在。
滞在中、中国のために尽力。仕事にあたっても、中国人の同僚を尊重し、中国で働く旧ソ連の技術者らにも同じように求めた。旧ソ連の対中援助プロジェクトが滞りなく実施されるよう、両国の技術者とともに企業や重要なプロジェクトを視察、指導した。この仕事に対する責任感や無私の精神は中国国民からの信頼を得た。
1958年に帰国後、旧ソ連部長会議対外経済連絡委員会第一副主席、および部長会議第一副主席を務めた。
1982年、中ソの国交回復に向けたプロセスが開始。両国政府が国交回復を妨げる問題の解決について協議を重ねていた最中、1984年12月、アルヒポフ氏が「中国人民の親友」、「旧ソ連政府副首相」として訪中。両国の間のハイレベル相互訪問が幕を開けた。訪問中、中国の指導者たちと会見し、新しい中ソ貿易協定を結んだ。これにより、中ソ関係は改善に向かい大きな一歩を歩みだした。
アルヒポフはその後、中ソ政党関係の回復にも尽力。その結果、1989年5月15日、旧ソ連ゴルバチョフ当時書記長の訪中が実現した。旧ソ連の最高指導者が訪中したのは1959年以来のことであった。翌日、鄧小平とゴルバチョフが会談し、中ソの国交回復が宣言された。
1998年2月28日、アルヒポフ氏はモスクワで逝去。享年91歳。新華社は中国の親友であったアルヒポフ氏の死を大きく報じた。
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