会員登録

エレンホト、我が兄弟

2009-07-16 18:18:46     cri    























src="mms://media.chinabroadcast.cn/japanese/kanzhongguoxilie2.wma">BR>



type="video/x-ms-wmv"





width="300" height="44">

 外国人から見た中国シリーズ、第二回は「エレンホト、我が兄弟」を放送します。今日の主人公は北京放送に勤務しているモンゴル人の孟和さんです。

 中国を一つの家にたとえれば、モンゴル人にとって、中国北方の都市・エレンホトはまさにその家に通じる玄関に見えます。エレンホトは中国の首都北京に一番近い国境都市で、北京とモンゴルの首都ウランバートル、ロシアの首都モスクワを結ぶ鉄道線がここを通っています。さらに、エレンホトは中国がモンゴル、ロシア、ヨーロッパ大陸に向かう陸上の門戸で、モンゴル人にとって、中国に対する最初のイメージはエレンホトからわき上がります。

 モンゴルの首都ウランバートルから、ゴビ砂漠を720キロ以上渡り、中国の土地に踏み入ると、都市の賑やかさが肌で感じられます。

 1990年代の初め頃、エレンホトは小さな町でした。当時、ここにレストランやホテルのようなものさえありませんでした。しかしその後、中国の都市発展が急速に進み、高層ビルが相次いで現われました。「中国人はまさに食糧を栽培するように、ビルを栽培しているのか」と、多くのモンゴル人は冗談を言いながら、驚きと感心を表しました。

 モンゴル人の中国の改革開放政策に対する認識は、エレンホトが中国13番目の開放都市になったからです。中国で仕事したり留学したりするモンゴル人ははっきりとそれを覚えています。彼らの多くはエレンホトを通じて中国に入り、エレンホトは彼らにとって親しい存在です。

 孟和さんは1992年に中国へ留学し、初めてエレンホトを訪れました。その後の17年間、彼は毎年この町を訪れ、ショッピングしたり、友達と会ったりして、楽しい一時を過ごしました。

 エレンホトの町を歩く度に、活気が感じられます。この町で、多くの漢族が蒙古族の言葉が喋れるし、店の人は標準のウランバートルのモンゴル語を喋れます。

 改革開放によって、エレンホトが生まれ変わりました。いま、多くのモンゴル人観光客やビジネスマンはこの町を訪れたりしています。一方、エレンホト市政府はモンゴルの人々にいろいろな便宜を図っています。例えば、設備完備な国際病院が建てられ、ほとんどの医療関係者は蒙古語ができるし、モンゴルの患者に行き届いたサービスを提供しています。また、エレンホトの小売市場では、様々な商品が陳列されており、種類が多いわりに値段がとても安いです。さらに、内蒙古自治区政府はモンゴルの孤児を招いて、エレンホトの蒙古族中学校で勉強させたりしています。中国人教師の指導によって、一部の孤児は中国の大学に受かったりして、エリートになりました。

 中国の古い言葉に、「遠くの親戚より近くの他人」があります。エレンホトはモンゴルの人々にとって、まさに隣にいる兄弟のようです。

 シリーズ番組・外国人が語る中国の「色々」、二回目はモンゴル人の孟和さんから見た発展中の中国の国境都市・エレンホトについてご紹介しました。(07/16 翻訳者:Lin チェッカー:吉田)

関連ニュース
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS