四川省の臥龍には、世界でパンダの人工飼育に一番成功している臥龍中国パンダ保護研究センターがあります。1年前の四川大地震で大きな被害を受け、小屋のほとんどが岩や土石に埋もれました。現在、新しいセンターはまだ建設中であり、センターにいた50頭あまりのパンダは先月末までに全国各地の施設に預けられました。1年前にセンターを取材した日本語部の姜平記者が、センターを総括するエンジニアの黄炎さんにその後の様子を聞きました。
地震後の大移転
姜:黄さんはいつパンダを連れて臥龍を離れたのですか?
黄:約1年前です。地震後に専門家は臥龍センターを調査し、いつ洪水や土石流が起きてもおかしくない状況だと判断しました。また、当時はパンダ小屋のほとんどが壊れ、餌となる竹の林も土石流でかなり失われてしまった厳しい状況でした。そして何より、パンダたちは余震に怯えていました。そのため、私は去年の6月18日、台湾にプレゼントする予定だった「団団」「園園」を含む13頭のパンダを連れて四川省雅安にある碧峰峡パンダ繁育基地にやってきました。これが碧峰峡への本格的な移転の始まりでした。その時は曲がりくねった山道でパンダが車酔いしないようにゆっくり走り、400キロメートルの道のりで13時間もかかりました。
その後、順次53頭のパンダを4月末までに碧峰峡をはじめ広州、昆明、北京、武漢、福州などにある動物園や研究センターに移動させました。大変な移動でしたが、臥龍のセンターに残ることは危険で不可能でした。
育まれる新たな命
姜:いま碧峰峡に越してからのパンダの様子はどうですか?
黄:碧峰峡の基地は以前から20頭のパンダを飼育していましたが、臥龍からのパンダを受け入れるため、1ヶ月以内に20のパンダ小屋を新設しました。それでも小屋が足りず、いまは1部屋を2つに区切るなどの工夫をしています。碧峰峡は臥龍より海抜が低く、気温も相対的に高いです。周りに生えている竹も味が違いますから、パンダたちがここの竹を食べ慣れるのにはしばらく時間が要ります。
こうした中、嬉しいことに13匹の赤ちゃんパンダがここで生まれました。臥龍センターで四川大地震の前に妊娠したメス・パンダのこどもです。妊娠中のメス・パンダはすごく敏感で、私たちは越してきた小屋の環境作りにも気を配りました。その甲斐があったと思います。
姜:黄さん自身の家族はどうしていますか?
黄:私はパンダに付きっ切りで、家族に会う暇もありません。いま妻は臥龍に残って新しいセンターの建設に取り組み、大学に入ったばかりの娘は四川省の南充市で勉強しています。
新しい施設は10倍も大きい
姜:新しい施設はどんなところですか?
黄:臥龍にあったセンターから山を10キロメートル下ったところ、耿達卿の神樹坪に作られています。2年後に完成する予定で、完成後の面積はいまの10倍、70~100頭のパンダを飼育することが出来るようになります。私はいま、新しいセンターで25歳以上(人間なら75歳くらい)のパンダ向けに「老人ホーム」を作ることを考えている最中です。
また、都江堰にはパンダの疾病管理センターを設け、今後は碧峰峡パンダ繁育基地と合わせて3箇所の施設が連携することでリスクの分散を図ります。
飼育員「パンダは自分の子供」
姜:飼育員のみなさんは元気ですか?
黄:「国宝」と呼ばれるパンダの飼育は大変な仕事です。地震がなくても日ごろから飼育員はパンダを自分の子供の様に大切に育てています。去年の地震の時に私たちは自分の身の安全よりも、パンダを心配しました。
この仕事をして一番辛いことは、わが子のように育てたパンダと別れることです。私たちはいま移転先に飼育員を駐在させ、移転先と協力してパンダの世話にあたっています。この任務に当たる飼育員たちは、四川を離れても残ったパンダたちのことが気になるのです。
姜:この仕事をやめた人はいますか?
黄:プレッシャーのある仕事ですが、一度始めるとなかなか辞められなくなる人が多いです。今年は7人の新卒者を採用しました。
姜:私たちのリスナーがパンダの世話をお手伝いすることはできますか?
黄:外国からのボランティアは以前からたくさん受け入れています。専門的な知識や技能は特に必要ありません。心身健康で、パンダが大好きな人であれば応募できます。(整理:黄恂恂)
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