頑張ろう!四川
今日は、5月12日、四川大地震からちょうど1年がたちました。先週からお送りしてきた特別企画「頑張ろう! 四川」も、いよいよ今日で最終回を迎えます。担当はミン・イヒョウと安藤直子です。
四川大地震から1年の様子を皆さんにお伝えするため、CRIは国籍を越えた取材団を組み、ドイツ語部、チェコ語部、イタリア語部、インドネシア語部、スペイン語部、英語部、ロシア語部、そして日本語部の合計8つの言語の外国人スタッフと中国人記者を中心に総勢27名で、4月22日から28日の日程で四川省を訪問しました。ミンアナと安藤アナもそのメンバーとして四川省に行ってきました。
記者団が訪れたのは、省都の成都、水利施設で有名な都江堰、それから、震源地の映秀鎮、被害が最も深刻だった北川など…。ハードなスケジュールだったため、被災地のほんの一部しか回ることができませんでしたが、訪れた先々では、温かく迎えていただき、皆さんの元気で前向きな姿をこの目で見ることができました。実は、被災地では、人々の生活がどうなっているか、心のケアがどこまで進んでいるかは、この取材でいちばん注目していたところでした。
残念ながら、スケジュールの関係で、仮設住宅の中に入ることはできませんでしたが、最後の日に訪れた北川中学校の仮校舎では、生徒のみなさんや先生がたにいろいろと話をうかがうことができました。四川大地震で壊滅的な被害を受けた北川中学校といえば、日本でもよく知られていると思いますが、今、この北川中学校の生徒たちは新校舎ができるまで、綿陽市にある家電メーカーの職業訓練校である長虹集団培訓中心で授業を行っています。
取材していたときは、ちょうど午前中の授業が行われている最中で、生徒たちの教科書を読む声が響いていました。グランドでは体育の授業も行われていました。リラックスした表情を浮かべながら、軽いランニングや卓球など思い思いの運動をしていました。その様子はごく普通の中学生や高校生と変わらない印象を受けました。
グランドの向かいに建つ校舎に、生徒たちを対象にしたリハビリセンター・北川中学康復站があります。広い部屋とは言えないけれど、記者団から注目される存在でした。地震で怪我をした生徒たちはここで、リハビリを受けながら、普段の授業も受けることができます。この日このセンターで会ったのは、車椅子に乗った17歳の高校1年生の女の子・郭冬梅さん。普段は午後、リハビリに来ているそうですが、この日は音楽を聴き、雑誌を見るために来たそうです。
冬梅さんは震災で辛いことを沢山経験してきたはずですし、自分の大けがをしたことから本当に大変だったと思います。多分これまでにもメディアの人たちが大勢来て、根掘り葉掘り聞かれたはずで、正直なところこちらもそれに触れるのはためらいがありました。ただ、冬梅さんはいろんな人に支えられてここでの生活は満足しているといいます。そんな冬梅さんですが、将来は何になりたいと思っているのでしょうか?将来の夢も聞いてみました。
夢は医師になること!これを聞いた時、ほんとうに「立派だなあ、偉い!」と思いましたね。大きな経験をすると人は考え方が変わるといいますが、冬梅さんは怖い存在の医師を、尊敬するだけじゃなくて、自分の将来の道としてまで考えるようになったというのは凄いことだと思います。1日も早く良くなって、夢に向かって自分の足で歩み出して欲しいと心の底から思いました。
リハビリ・センターを後にして、北川中学校の「致嘉爱心」音楽教室に来ました。人々の寄付などで建てられた音楽教室です。教室の中には10数台の電子ピアノがずらりと並んでいます。午前中は授業がなく、女の先生が一人、ピアノの練習をしていました。なんだか覚えのあるメロディーが流れてきたので、よく聞いてみると、日本の名曲「桜」でした。
新しい校舎は今年の5月から建て始める予定ですが、校舎の再建に先駆けて、学校側は生徒のメンタルケアを最優先にしているようです。そんな中、ボランティアの先生たちが担当する音楽や美術といった芸術系の授業が注目されていました。われわれがこの日、音楽教室で出会ったのは、ボランティア教師として北京からやってきた、首都師範大学音楽学院の3年生・張竹君さんです。張さんの話によると、この音楽支援計画は、数ヶ月前からすでに始まっているということなのですが、毎月新しい先生が交代でやってきます。今回は張さんを含めて8人派遣されてきました。ただ、この任期は5月初めで終わるとのことで、張さんは心残りだというような顔をしていました。
張さんは音楽教師というより「音楽セラピスト」と言えるかもしれません。音楽の知識を教えるのと同時に、音楽に触れることで、地震で傷ついた生徒たちの心をどうやって癒していくかを考えなければならないそうです。「音楽は人を変える」音楽によって心を癒し、明るさを取り戻していった生徒たちをこの目で見た張竹君さんですが、「才能のある子が今後、音楽学校の試験に受かり、本格的に音楽の道を歩んでほしい」とこんな願いも語っていました。
最初、被災地の子供たちを心配して彼らを元気付けようとしていた人が多いのではと思いますが、実際、彼らと触れ合うことによって、逆に元気をもらったり励まされたりすることのほうが多かったです。人間のたくましさをつくづく感じさせられました。
実は、今回の取材で日本の皆さんも関心を持つ四川のシンボルとも言われるパンダについていろいろ話を伺ってきました。今回の取材を通じて、パンダは可愛いばかりでなく、とても頭のいい動物だとあらためて認識することもできました。震災当時は、地震のショックで腰を抜かしてしまったわけではなく、必死になって震災を逃げ切ったパンダが多かったと聞きました。パンダは野生動物ですし、自然環境下なら災害はいつでも起こりうるわけなので、被害にあったとしても立ち直る力があります。人間よりも長い歴史を持つだけあって、さまざまな困難を生き抜く術が生まれながらにして備わっているということでしょうか。でも人間もパンダも同じように、今回の地震で心理的にも深い傷を負っているのではないかと思います。
パンダたちの心理的ケアについて、「パンダの父」とも呼ばれる臥龍パンダ保護研究センターの張和民主任は「われわれは、パンダたちに心理的なケアを行っている。パンダを軽く撫でて、近づいて話かけたり、また、飼育員は地面に伏せてパンダたちとコミュニケートするようにした。一年にわたる努力によって、パンダたちはほぼ地震の前の状態に戻った」と紹介してくれました。
地震で大怪我をしたパンダや、ショックのあまり流産してしまったパンダをこの目で見た張主任は、「心が痛い」と話していましたが、一年後、すくすくと育つパンダの子供たちの姿を見ると、また一安心したそうです。
今回の取材で、道路がまだ修復されていないためにパンダ保護区として知られる臥龍に行くことはできませんでしたが、臥龍から100キロ余り離れた成都パンダ繁育研究基地で話を聞くことができました。パンダの保護、研究分野で様々な取り組みを進めているこの基地ですが、もちろん、観光地としても各国からパンダ・ファンが訪れています。日本人のお客さんもきっと多いのではと思いきや、そこで出会ったのは、日本人女性・阿部展子さん。なんと大学の実習として3ヶ月間、この研究基地にいるそうです。「パンダとふれあえる仕事がしたい」という彼女の純粋な思いがこの仕事を始めるきっかけになったそうです。そこで中国語を習得し、パンダを学び、そして今、卒業研修としてパンダと毎日接するまでになりました。いろいろと大変なことも沢山あったと思いますが、日本のパンダ好きには本当にうらやましい話ではないでしょうか。ただ、何よりも一番大変だったのはやはり言葉の壁だそうで、「パンダたちは四川の言葉にしか反応しない。名前を呼びかけるにしても、普通話では『ヤーザイ』というのに、四川の言葉では『ヤザーイ』なので、ちゃんと四川の言葉で呼ばないと応えてくれない」と阿部さんが説明してくれました。
こんな毎日楽しそうな阿部さんですが、今後はあと1ヶ月ここで実習をしたあと、大学に戻り論文を書き上げて卒業することになりますが、進路はまだ決まっていないそうです。阿部さんがここで働けば、日本から来る観光客にとっても強力な味方ができるわけですし、本人も「できれば1年ぐらいここで働きたい」とおっしゃっていたので、日本のパンダ好きの1人として、楽しみにしています。
1週間にわたってお送りしてきた特別企画「頑張ろう! 四川」、とうとうお別れの時間となってしまいました。1年後の被災地の様子をご紹介してきましたが、ご理解いただけたでしょうか。被災地は、まだまだ復興に時間がかかるように思いますが、今回は、どの取材先でも人々の表情は明るく、これから頑張っていこうと非常に前向きな姿勢が印象的でした。みなさんも次に中国へ来る機会があれば、是非四川まで足を伸ばしてください。それが被災地の復興にもつながります。(2009/05/12)
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