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チベットの半世紀の飛躍(その一:生まれ変わり)

2009-03-29 15:39:07     cri    

 1959年3月28日、ダライ・ラマらが武装反乱を起こしました。中国国務院は命令を出し、旧チベット地方政府を解散させ、チベット自治区準備委員会が地方政府の職権を行使して、チベット民主改革を始めました。2年足らずで、政教一体の農奴制が廃止され、農奴は土地と家畜をもらい、憲法と法律に守られる公民となりました。

 山南地区の克松村に住んでいる76歳のロサンチーダさんは「昔、わが家は領主の土地を借りて稼いだが、労役に服するほか、小作料を払わなければならない。債務の利子はどんどん増えていく。労役に服するわれわれは自分の畑の面倒を見る時間もなくなっていることからよく凶作となった。そのため、債務もますます多くなった。両親は債務を返せないから逃げ出した。私も出家して僧侶となった」と述べました。

 1959年、チベットでは民主改革が行われ、封建農奴制が廃止されると共に、克松村は最初に民主改革の村となりました。このことを知ったロサンチーダさんは26歳になって、故郷に戻りました。その時の様子をロサンチーダは「あの日、多くの人の畑売買契約と人身売買契約を燃やした。これで、われわれは領主の圧迫から解放された。非常にうれしかった」と述べました。

 ロサンチーダさん一家は土地と家畜だけではく、部屋までもらいました。ロサンチーダさんは「昔は、家畜と一緒に住んだ。土地をもらった年に、750キロの穀物を収穫した。乳牛を飼い、スー油茶が飲めるようになった。また、私は結婚した」と微笑んで語りました。

 それからの数十年間、ロサンチーダさん夫婦は2人の息子と1人の娘を育てました。現在、息子は家禽養殖をしていますが、娘は観光バスの運転手をしています。2001年、ロサンチーダさんは300メートルあまりの家を建てました。家族の収入は年々増える一方です。

 ロサンチーダさんと同じように、ずっとラサで暮らしているニマジニーさんの生活も民主改革の後大きく変わりました。今年76歳のニマジニーさんは若い頃、石工で、貴族のために労働しました。現在、穏やかで豊かな暮らしをして、魯固住民委員会7番コミュニティーの組長を担当し、44世帯のあるコミュニティーを管理しています。昔の生活について、ニマジニーさんは「若い時、非常に苦しかった。一日に一食しか食べられなかった。一年を通して、1枚のぼろぼろの服を着ているが、靴はなかった。冬は耐えられないほどつらかった。領主の圧迫の下で、農奴の生活が苦しいだけではなくて、自由さえなかった。しかし、民主改革の後、私は中国共産党に加入した。1959年から魯固住民委員会で働いている。今の生活といえば、衣食住に困らなくて、満足している」と述べました。

 チベットでは、ニマジニーさんとロサンチーダさんのような人は多いです。民主改革の前に、チベットの農牧民は生産手段がなくて、一生返せない債務に追われます。2008年になって、チベットの都市部と農村部の住民の一人当たりの可処分収入は1万2482元となりました。民主改革の前に、チベットの90%以上の人は自分の家を持っていません。現在、新農村建設や安定住居プロジェクトの推進によって、20万世帯は自らの安らかな家で暮らしています。これらの変化は、民主改革後のチベットの人民が歩んできた歴史を示しています。

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