中国国務院の許可を得て、広州は2004年3月31日にOCA・アジアオリンピック評議会にアジア大会の開催をを提出しました。広州のほかにも、韓国のソウル、マレーシアのクアラルンプールとヨルダンのアンマンも2010年アジア大会の開催地として名乗りをあげました。
ところが、様々な理由から、ソウルとアンマンは2004年3月に申請を放棄することを発表しました。その上、クアラルンプールも開催都市の発表直前に、辞退しました。こうして、広州は第16回アジア大会を招致する唯一の都市となりました。
2004年7月1日夜8時40分、アジアオリンピック評議会のサバーハ会長は、第23回全体会議で「広州は第16回アジア大会の開催権を獲得した」と発表しました。その瞬間、2200年以上の歴史を持ち、中国の改革開放の最前線に立つ南方の都市、広州は祝賀のムードに包まれました。
その時の気持ちについて、広州市民の梁棟さんは「その時はちょっと意外なことのように感じました。こんな順調に、開催地に決定するとは思っていなかったからです。北京オリンピックを招致するまでには、挫折もあればいろんな問題もあって、それを乗越えてようやく開催にこぎ着けたためもあります。本当にうれしくて、誇りに思います。これでようやく、中国の南の玄関口でもある広州でアジア大会が開催できます」と述べました。
広州はアジア大会招致にあたり、他の都市にはない優れた点がありました。これについて、招致活動に参加した広州アジア大会組織委員会の古石陽副秘書長は「中国で改革開放政策が始まってから、広州の経済は急速に発展し、その経済力は全国の上位3位にランクされています。広州は中国各地のアスリートたちが集う全国運動会を、第6回と第9回の2回成功させたことがあり、施設面でも大規模な総合運動場と体育館があります。また、年に2回、国際的な見本市である広東フェアを開催しているため、広州のホテル業界や関連企業が大きく成長しています。そのほか広州は港の施設も充実しているだけでなく、都市環境も整備されています。このことからも広州はアジアに影響力のある都市と言えるでしょう」と説明しました。
広州では1987年、第6回全国運動会を成功させたあと、すでにアジア大会を開催する計画がありました。しかし、当時は様々な条件が整っていなかったため、政府の許可が得られませんでした。2002年になって、広州市の全国人民代表大会の代表の一部が、再びアジア大会の開催を提案しました。これについて、古石陽さんは
「アジア大会を招致することによって、広州の現代化と国際化をさらにスピードアップさせ、社会が全体的に発展するように促し、都市のインフラ施設や都市環境を整備します。これによって市民の品位も高まり、スポーツ事業と関連する産業の発展を促進し、広州の国際的知名度と総合的な競争力を強化していくこともできます」と語っています。
第16回アジア大会を開催することは、アジアおよび世界に広州をアピールする絶好のチャンスです。広州は招致に成功した後、経済発展や都市整備などを積極的に行っています。これについて、古石陽さんは「アジア大会の招致が決まったあと、広州は開催する2010年に向けて都市計画にさらに力を入れると共に、アジア大会のスタジアムと体育館の建設、交通と環境改善という3つの面における計画を実行に移しました。現在のところ、作業はどれも順調に進んでいます」と述べています。
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