北京五輪の開幕まであと2週間。各国では、出場選手が集まり、最後の調整をしています。その中で、世界最強といわれるアメリカ選手団も続々と北京入りします。陸上、バスケットボールなどでスター選手が数多くいるアメリカ選手団ですが、その団長を務める人は、とくに中国と深い縁がある人です。
名前はチャールズ・カーター・リー。1984年のロサンゼルス五輪の開催前、旧ソ連をはじめとした東側の一部の国がボイコットを唱えていましたが、このチャールズ・カーター・リーさん(以下、「リーさん」と略す)が中国に参加してもらうため、アメリカの特使として中国を訪れました。
1984年5月12日は、リーさんにとって一生忘れられない一日となりました。この日の夜、リーさんは北京から、ロサンゼルス五輪組織委員会のピーター・ユベロス会長に電話をして、「中国がくる」といいました。つまり、中国がロサンゼルス五輪に参加するということをユベロス氏に伝えたのです。このときを振り返って、リーさんは次のように話します。
「もし当時、中国が来なかったら、ロサンゼルスオリンピックばかりでなく、世界のオリンピック事業に少なからぬ影響を与えたでしょう。」
アメリカは1980年、モスクワで開催された五輪をボイコットしましたが、それに対する報復として旧ソ連は、安全上の理由から1984年のロサンゼルス五輪に参加しないと表明しました。さらに東側諸国を遊説してまわり、そろってボイコットするとしたのです。彼らが得た情報では、当初、中国もボイコットする見込みだったそうです。
「旧ソ連は当時、オリンピックのボイコットについて100カ国と合意しました。さらに、その中に中国も含まれているという情報もあったのです。」
ボイコットの情報がアメリカに入ったのは、五輪開幕まであと2ヶ月のときでした。それを聞いた五輪組織委のユベロス会長は、すぐ、各国を説得しようと特使を派遣しました。ロサンゼルスの検察官だったリーさんは、流暢に中国語を話せるため、中国に派遣されました。そしてアメリカには、いい知らせを持って帰ってきました。
「実は北京に行く前、中国は五輪に参加する意思もあるという情報を得ていました。ですから、説得ではなく、確認するために行ったんです。中国政府から、オリンピックに参加すると書かれた確認書を受け取ったとき、私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。これは、ロサンゼルスオリンピック、さらには世界のオリンピックへの貴重なプレゼントだと思いました。」
ロサンゼルス五輪は、一部の国がボイコットしたものの、史上最多の140カ国が参加しました。また、このときから、いわゆる五輪の商業化が始まるという歴史的なオリンピックとなりました。そこには中国の役割が大きかったと、リーさんは話します。
「中国は、大国として非常に重要な役割を果たしたのです。各国は中国に対して好感を持っているので、中国がロサンゼルス五輪に参加すると表明したことで、それまでのボイコットしようという機運が薄れた気がします。ボイコットしたのは、結局、14カ国しかありませんでした。ユベロス会長が言ったように、中国が、ロサンゼルス五輪を救ったのです。」
中国選手団がロサンゼルスに到着したとき、リーさんは空港で出迎えをし、五輪の閉幕まで中国選手団に付き添いました。リーさんによりますと、開幕式では、中国選手団が観客から大いに歓迎されたそうです。
「中国選手団が入場すると、観客から強烈な拍手や喝采が送られました。皆、中国がオリンピックに参加したことに興奮を覚えていました。あの感動の場面は、今でもはっきり覚えています。」
ロサンゼルス五輪で、中国は、史上初めての金メダルを獲得しました。これについてリーさんは、こう述べています。
「中国には、世界レベルの選手がたくさんいますね。当時は、中国のスポーツについてあんまり知らなかったんですが、体操が強いと聞いていました。例えば、男子の李寧選手とかは、本当にすばらしい選手でした。中国はロサンゼルス五輪でいくつかの金メダルを取りました。素晴らしかったです。」
ロサンゼルス五輪によって、リーさんと中国の縁は大いに深まりました。そして、これまで何度も中国を訪問し、スポーツ交流などを行ってきました。最近、一部の国が北京五輪を政治と関連させようとする動きがあります。リーさんは、これについて、まったく無意味なことだと語ります。
「ボイコットによって傷つくのは結局スポーツ選手です。オリンピックを政治化させることは、全く意味のないことだと思います」
チャールズ・カーター・リーさんが率いるアメリカ選手団がまもなく北京オリンピックに臨みます。彼は、アメリカの選手だけでなく、中国の選手、そして世界各国の選手に声援を送ると北京五輪への期待を述べました。私たちも、この、多くの人たちの力が結集したオリンピックが成功するよう、支えていきたいと思います。(鵬)
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