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北京の前門大通りには「六必居」というお漬物屋さんがあります。
言い伝えによりますと、明の嘉靖9年(1530年)趙家の兄弟が開いた酒店がその始まりだということです。酒造りには六つの「必」からなる決まりがあって、そこから「六必居」という名前がつけられたと長年言われてきました。

この店が開かれたのは清の康煕年間であることがであるらしいことが判明します。そして雍正6年(1728年)の帳簿から「源昇号」というのが最初の店の名前だったことがわかりました。「六必居」という名前が帳簿で初めて出てくるのは、乾隆六年(1741年)だということです。
六必居の名前の由来についてですが、六必居は酒を造ってはいなかったというのです。酒を造っていなければ、上にあげた「六必」が店の心得でなくてもよいわけです。趙兄弟も、兄弟の出身地も酒造りとは関係がない。それでは、その「六必」とは何なのですか?

「開門七件事」という言葉があります。これは「暮らしをたてていくのに必要な七つのもの」ということです。中国では「柴、米、油、塩、味噌、酢、茶」を「開門七件事」といいます。
六必居ではお茶以外の生活必需品を扱っていたということです。そこから「六つの生活必需品を売る店」……「六必居」と言う名前がつけられたのではないでしょうか。
「六必」は酒造りの秘訣の「六必」ではなく、「柴、米、油、塩、味噌、酢」という生活の「六必」需品から来た名前だと言うことがわかりました。そんなお店が、お漬物やさんになった経過については、別途調べる必要があります。
「甜醤八宝菜」、「甜醤蘿蔔」が人気の高いお漬物。昔から北京で暮らしていた人たちなら、前門のほうに遊びに出かけたときには必ず立ち寄って量り売りで買ってきます。北京にはもう一件老舗のお漬物屋さん「天源醤園」がありますが、同じお漬物でもちょっと味が違います。
「六必居」歴史について、名前以外にも数々のなぞがあります。上にあげた店の名前の額ですが、この文字を誰が書いたのか。一説によると明の大臣・厳崇だとも言われています。しかし、「六必居」というなが清の乾隆年間になってついた名前だとすれば、なぞは深まるばかりです。
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