人口は3万3936人。
主に雲南省徳宏のタイ族・ジンプォ族自治州の隴川県、梁河県に分布し、少数は盈江県、潞西県、瑞麗県と保山地区の竜陵県、騰沖県に分布している。
アチャン族はアチャン族の言語を使用し、アチャン語は漢・チベット語系、チベット・ミャンマー語派、ミャンマー語分支に属し、梁河、隴川、潞西など3つの地区の方言がある。居住地区の違いによって、「ちん撒」、「漢撒」と呼ばれたこともある。長期にわたって漢民族、タイ族とともに暮らしていたため、アチャン族の人たちはほとんど漢語とタイ族語に通じている。 アチャン族には文字がなく、漢字とタイ族の文字を使用する習慣がある。
アチャン族の人々は、普遍的に小乗仏教を信仰している。
漢語の史書の中で、アチャンは、「峨昌」、「莪昌」、「俄昌」と呼ばれたことがある。その先住民は早い時期から雲南省北西部の金沙江、瀾滄江、怒江流域一帯で生活していた。西暦13世紀に、何度もの移住を通じて、次第に現在住んでいる地域に定住するようになった。アチャン族の人々は防衛のため辺境地帯に駐屯していた兵士たちから水田を耕作し、鉄器を作る技術を学び、農業と手工業との分業を推し進め、商品経済が初歩的な発展をとげた。唐代と宋代の頃に、アチャン族居住地区は南詔と大理の管轄下に置かれた。明代と清代の頃には、アチャン族は族長制度を実行するようになった。新中国建国以前、アチャン族地区は封建的な領主経済のもとに置かれ、地主経済も一定の発展をとげた。その頃の領主の多くはタイ族の族長で、地主はほとんどが漢民族であった。
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