秦の始皇帝陵の地下宮殿のレイアウトと埋蔵状況などに関しては、史書でたくさんの記載が残っています。漢の時代の歴史学者ーー司馬遷は『史記』の中で
と書いてあります。この古文の意味を日本語に訳してみますと、「秦の始皇帝の陵墓は、非常に地下深く掘られています。まず、溶かした銅の液で床を埋めた後、棺おけを置きます。地下宮殿には、文武百官の席を設けただけではなく、数え切れないほどの宝物を所蔵しています。また、盗掘を防止するため、宮殿の門に矢などの防止用の道具が設置されています。さらに、陵墓内で水銀による海や川を作り、機械の力でそれを流動させるようにしており、お墓の吹き抜けには太陽や月、星などを飾り、地下には実物を真似した山水やお城や村などの風景も見られます。そして、所々に人魚の油で火を点した(ともした)蝋燭があり、これらの蝋燭は長く点しても消えません。」ということです。
司馬遷の『史記』のほか、班固の『漢書』や、また、北魏の障モ道元がその著作、『水経』の中においても、みんな同じような記述があるらしいです。秦の始皇帝はなぜこのような雄大な陵墓を作ったのか、を考察しますと、中国人は昔から人が死んでも、魂は不滅であるということを信じていましたね。"事死如事生,礼也"。「死んだ人をまだ生きていると同じように扱うことは、礼儀なり。」ですから、死んだ後の生活場所である陵墓には大変こだわったのです。
秦の始皇帝は特にこの風習を重んじていた方です始皇帝は自分が享有していた中央政府のすべての官僚機構などを、すべて副葬坑の形で地下に持っていきました。
去年、秦の始皇帝陵に対して行われた遠隔考古探測が年末の大きな話題となりました。この遠隔考古探測は俗に863プロジェクトと言い、中国ハイテク技術発展計画の一環です。それは計画から完成までおよそ2年間かかると予測されますが、これまで一部が完了したということです。去年行われたこのプロジェクトは、すなわち、地球物理の手法で地下に埋蔵されている文化財を探測することです。この手法は、100年余りの歴史に遡りますが、世界各国でこの方面の技術がまだまだ成熟していないことから、主管部門である科学技術省はこの秦の始皇帝陵のプロジェクトを二段階に分けて進めていくことに決めました。
なので、去年の活動はあくまでも検証の一環といえ、第二期では、始皇帝陵区域内にある地下文物の分布に対する、本当の意味の探測となるそうです。
今回の探測では、人々が興味を持つ地下宮殿のレイアウト、たとえば、棺おけの位置やどんな副葬品があるのかなど、についてはまだわかりませんけれど、歴史学者にとっては、やっぱり大きな成果を遂げたと言えるのです。その主な成果は次のとおりです。
1、封土の下には人工発掘による大きな建築遺跡があることを裏付けました。
2、地下宮殿の吹き抜けは石でできています。
3、地下宮殿には大量の水銀があります。
4、墓は倒壊していません。吹き抜けから地面までの高さはまだ15メートルほどあります。
5、盗掘に遭った明らかな跡が見つかりました。
6、地下宮殿には水は溜まっていません。
などです。これから実施される第二段階の遠隔考古探測では、きっとさらに詳しい発見があり、2000年間謎となっていた秦の始皇帝陵の姿が、徐々に明らかとなるでしょう。
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