さて今度は明の時代の正徳帝にまつわるお話です。題して「真珠粥よ鳳(オオトリ)の眼」
「真珠粥と鳳の眼」
南のアモイの人は、米のお粥を食べるとき、「麦螺鮭」(まいろーくえい)という海で取れる小さな貝の漬物をつける。地元ではこれを「真珠粥と鳳の眼」と世呼んでいる。これには謂れがあった。
それは明の時代。時の皇帝正徳帝は、この年に暇を見て書生のなりをし、武芸達者な側近一人を連れ、こっそりと王宮を出て旅をし、なんと遠く南にある福建あたりまでやってきた。ある日、若い正徳帝と側近は海の近くのある山に登り、谷があるのを見てそれを降りたり、また丘にのぼったりし、かなり疲れ、どうしたか迷子になってしまった。それに側近に持たした食べ物もとっくなくなっていて腹の虫が大きく鳴いている。側近も腹ペコだが、それでも疲れと空腹を我慢している皇帝をかばいながら人家を必死になって探していた。しばらくしてやっとある農家を見つけたので、声もかけずにその家の中に入っていった。すると、中では白髪頭の老人と老婆が、丁度食事しているところだった。二人の老人は急に人が入ってきたのでびっくりした眼で来客を見た。これをみて正徳帝は両手を合わせ一礼した。
「これはこれは、失礼いたしました。わたしは通りすがりのもので、この連れと共に一日山を登り、とうとう迷子になってしまいましてな」
そこで老人がこたえた。
「そうでございましたか。それはお疲れでしょう。家には私とこの老いた道連れがいるだけ。さ、そこに座って休みなされ」
これを聞いた正徳帝は、この親切な老夫婦が客好きなことがわかり安心した。
「さ、お茶などありませんが、先にこの白湯でも飲んでいなされ。いま、お二人の食べ物を作りますから」
そこで正徳帝はすわり白湯を飲んだ。実が宮殿では白湯などは薬を呑む以外に口にしないのだが、このときは喉が酷く渇いていたのか、とてもうまかった。そしてすぐに飲んでしまったので、これをみた老婆は、また二人のお椀に白湯を注いだ。こうして喉を潤した二人の前にお粥と小さな貝の漬物のようなものが出された。
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