古井貢酒は安徽省亳(ハク)州が産地で古くからその水質で有名な古井戸の水を用いた甘みのある濃厚なお酒です。亳州はかつて亳県といい、昔は勝ヒ(しょう)陵、勝ヒ城と呼ばれ、かの三国志に出てくる曹操と名医である華陀のふるさとでもあり、漢の時代から酒が生産されることで知られていました。昔の本「魏武集」には、曹操はかつて、九投法、九回投げる方法の九投法で、九醸春酒というお酒をつくったと伝えられます。こ曹操がこの九醸春酒なるものを漢の献帝に献上したことから、この酒は貢ぐ酒という意味の貢酒とも呼ばれたそうです。《亳州志》という書物には、今ここで酒造りに使われている水がでる古い井戸は、南北朝の梁代の大通4年、つまり西暦532年の遺跡であり、この井戸の水は透き通り、甘みがあってすがすがしく、この水で酒を造るのはとても適していたことから、この水で出来た酒を古井貢酒という。のち宋代にはの酒造りは非常に発展し、煕寧年間には"十万貫以上"造られたとあります。この十万貫がどれだけであるかははっきりいえませんがとても多い量なのでしょう。また、明代の初期、懐という商人が減店というところに"公興槽坊"を建て、地元の地名を取った"減酒"を醸造し有名になった。清の時代にはより多くの酒が造られたとあります。
古井貢酒の原料は地元で取れる優良品質のコウリャンで、小麦、大麦とエンドウ豆を中程度の温度にして糖化発酵剤とし麹をつくり、古い穴倉に入れて固体発酵させ、これを蒸留させて出来たものです。今ではアルコール度が38度、55度と60度の三種類あります。
ところで、この林涛が古井貢酒をはじめて飲んだのは20年ぐらい前でしょうか。すでに放送局に入って10年ぐらいたったときです。はじめは古井戸から貢がれる酒だと解釈し、その後は日本語部の先輩たちと共にこの酒のことを古井さん、古井さんと呼び、「今日は古井さんでいこう」などといい、時々飲んでいました。甘みがあるといいますが、そんなには感じず、口の中でまろやかに味を出し、素直にのどを通っていき、なかなかいいですよ。でも、当時は給料が安く、そんなにいつも飲むわけにはいきませんでした。
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