この古井貢酒にはいろいろと謂れがあるようです。まずはいまから約1460年前の南北朝時代。南朝の梁の武帝が元樹という武将をやって勝ヒ県、これは今の亳州のことですが、この勝ヒ県を攻めさせました。一方、この勝ヒ県を守っていたのが北魏の有名な独弧将軍でした。ところがどうしたことか、この独弧将軍は、相手には勝てず大敗して自分も死んでしまいます。で、この独弧将軍は死ぬ前に、自分の得物である大きな立派な矛を近くにあった井戸の中へ放り込んだので、それを知った人々は、かの矛を投げ入れた井戸の横に、独弧将軍を祀った祠を建て、その祠の周りに23もの井戸を掘ったのです。しかしこれら井戸は時が流れるのに伴い、多くが枯れてしまい、残るいくつかの井戸も渋く苦い水が少しでるだけだったのです。実はこの一帯はもともとアルカリ土壌だったらしく、水は苦く渋いのですが、かの独弧将軍の井戸には、何と水が多く、それに水は透き通り、その上甘く、長い間、どんな旱魃にあっても枯れたことはなく、また雨季に入っても溢れたためしがないというもので、水には今で言う鉱産物が多く含まれ、この水で酒を作ると酒は香り高く、甘味を帯び、醇厚であることから、この井戸は「天下の名井戸」と呼ばれています。人々はこの井戸の水を使っておいしい酒を造り、その酒を古井戸の酒と言う意味の古井酒と呼びました。のちに明と清の時代にはこの酒は宮廷への献上品となったことから。この酒は貢酒と呼ばれ、のちの古井貢酒と言われたといいます。なるほどね。
さて、この古井貢酒は、一家が飲めば多くの家の人が酔ったといい、酒がめ一つあれば千里に香りが漂うとされているほどです。これはオーバーな表現でしょうが、名酒であったことはたしかです。そうでなければ、貢物、つまり、献上品にはならなかったでしょうね。
|