前回にもご紹介しましたとおり、故宮の内部は外朝と内廷に分かれ、主な建築物はすべて中軸線に並んでいます。外朝の主体建築は太和殿、中和殿と保和殿です。
天安門広場から北に向けて、金水橋を渡り、毛沢東主席の巨大な写真がかかっている天安門を潜り抜けて、更に、端門を越えると、目に前にあるのは、五つの楼閣が建てられる高い建築物です。これがつまり紫禁城の正門にあたる午門です。
午門
午門の上には五つの楼閣が建てられていて、全体としては凹凸の凹の字の形をしています。
この建築様式は今から約3000年の周の時代の物まねだと言われています。また、その午門という名前の由来も面白いです。これに関してはいくつかの説がありますが、一番有力なのは、すなわち古代中国の地相学(ちそうがく)によりますと、この門の配置は全体図の一番南の方角にあり、十二支の午の点にあたることから、午門と呼ばれたのです。
よく小説からテレビドラマなどで、「午門外で廷杖二十処する」と、皇帝様が大臣の処分を言い渡したたりしますが、その処罰の場所としての「午門」はここなのでしょう。
午門には合わせて五つのアーチ型の門があります。昔、東西の脇門は通常閉ざされていますが、中央門は皇帝と皇后の専用で、「禦路」と呼ばれていました。また、東側は大臣、西側は皇族と王侯が通ります。
中央の門は皇帝専用のものですけど、科挙試験のトップー状元が皇帝の謁見(えっけん)を受けるとき、たった一度だけこの門を通る名誉が授けられるということです。
門の通路にはちょっと薄暗くて、その門には、赤い色で、九つの銅の釘が列になって並べてあります。どれもこれも封建王朝の最高権力を物語っているようです。
午門を抜けたら、もうひとつの金水橋があります。天安門前の金水橋と同じような形をしていますが、こっちのほうは、皇居内にあるので「内金水橋」と呼ばれます。
橋の向こうには、宮殿様式の太和門です。この金水橋は午門を背に、太和門に向いていますが、私の思うには、金水河は防衛とか美学の面から考えると、もちろん必要なものですが、漢白玉でできた金水橋はこの二つの門をつながり、建築物の移行としても、本当にすばらしいです。このきれいな橋と南の立派な午門、それに北のほうの太和門の三つは色も形も全体的な雰囲気も、すべてバランスがよく取れている感じです。
もともと、この「太和」とは、宇宙に存在するすべてのものが、つりあいを保っているという意味ですから。古人はその建築理念はとことんまで貫く精神があると思います。
門の前に、一対の青銅製の唐獅子が据えられています。このような獅子は名所旧跡でよく見えますが、この二つは特に見事に鋳造され、生き生きとした表情を浮かべています。獅子の彫刻は中国で権力のシンボルとされていましたから、皇宮内の獅子も最高に決まっています。また、ここだけではなくて、紫禁城のほかのところにも金メッキをしたものなど、様々な獅子が見られます。東側の獅子はマリを踏まえていて、それがオスです。宇宙の統一を表現したものですが、西側はメスで、足元に子獅子がいるというのは、子孫の繁栄を象徴したものです。
太和門のホールを抜けると、広大な広場に聳え立つ太和殿が目に飛び込んできます。
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