紫禁城は木造建築ですから、およそ600ぐらいの歴史期間に、何度も落雷や戦乱などの災難を経て、焼かれてしまったら、また修復されると、繰り返されました。紫禁城に対して一番大きな修復工事を行ったのは、清の乾隆帝でした。清の時代になると、宮殿の円柱を松の木で取って代わって、現在の配置がほぼ形成されたということです。
また、紫禁城の四隅(よすみ)にはそれぞれ角楼という楼閣が建てられ、その精緻な造りは中国古代建築の代表的なものです。紫禁城裏門あたりの護城河のほとりで、夕方の見た角楼のシルエットがとても感動的です。そこら辺はいまや貴族の格調が漂う優雅な散策道となり、金色の角楼の屋根、赤い紫禁城の壁、静かに流れる川、またふわふわと揺れ動く柳の梢、本当に夢のような風景です。ぜひお勧めしたいところです。
紫禁城の建築は大きく外朝と内廷の二つの部分に分かれ、主要な建築はすべて南北を貫く中軸線に配置されています。また、ほかの建物も両側に点在して、左右にはうまくつりあいを取れています。紫禁城の四つの方向にいずれも城門が設置され、南の午門は現在、観光客の入り口であり、北の神武門は出口となっています。
故宮の見学は便宜上「1時間コース」とか「2時間コース」などが設けられていますが、実は中国の観光地はどこも広いので、やっぱり故宮の広大さに対する心構えが必要だと思います。入り口の午門から北の神武門まで、通り抜けるだけでも1時間が必要です。主要なポイントをすべて回ろうとすれば、少なくとも3時間はほしいものです。また資料を片手に丁寧に見て回りたい方にとっては、1日でも決してつまらなさを感じられないと思います。
南の午門から入って、すぐ前の壮麗な宮殿は、太和殿、中和殿と保和殿という「三大殿」です。この三つは「外朝」といい、つまり公の行事を行う場所です。皆様がおなじみのラストエンペラー即位の儀式は、外朝で行われたものです。また、後ろの「乾清宮」、交泰殿、坤寧宮を中心に、東西に六宮を配する奥の一帯が「内廷」になります。そこは皇帝や、皇后、妃たちの日常生活の場所です。このような「前朝」と「内廷」が明確に区別されるレイアウトは、古代中国の「内外、区別がつく」という封建倫理を具現しています。
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