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黄興ー辛亥革命の指導者
   2006-05-17 09:41:18    cri
 黄興(1874ー1916)湖南省善化県(今の長沙市)の生まれ。孫文と並ぶ辛亥革命の指導者です。

 1901年に両湖書院を卒業し、1902年には清朝政府の派遣で東京弘文学院速成師範科に入学、1903年に清王朝を覆すための革命活動画策で日本から帰国し、「拒俄(ロシア抵抗)義勇隊」を結成しました。1904年に陳天華、宋教仁ら10数人と共に「華興会」を創設し、黄興は会長に選ばれました。ところが、長沙蜂起寸前に情報が漏れて、仕方なく日本に亡命します。

 1905年、日本の友人宮崎寅蔵の紹介により東京で孫文と初対面。二人は統一した革命組織を創設すべきだという点で見解の一致を見たあと、1905年の8月東京で「中国同盟会」が発足させました。

 同盟会の発足後、黄興は広州、雲南各地での蜂起を数回も指導しましたが、そのうち最大規模のものが「黄花崗蜂起」です。この蜂起では72人が死亡し、「黄花岡72烈士」と呼ばれ、今でも、その記念碑が広東省の中心地・広州にあります。1911年10月に武昌蜂起が勃発し、黄興は戦時総司令官に就任、1912年に南京臨時政府の成立とともに、陸軍総長となり、政府の北遷後は南京留守府の長官となります。第2次革命では江蘇討袁軍の総司令となりましたが失敗して、日本に逃れました。亡命後は孫文と意見が合わず,孫文の中華革命党に加入せず、新しい革命勢力の育成につとめ、資金の調達と宣伝活動のためアメリカに渡っていました。第三次革命では孫文に呼応し、袁世凱の死後は上海に戻りましたが、1906年10月、42歳で病死しました。

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