端午の節句とお酒について、おやっと思う方もおられるのではないでしょうか。
日本では、三月三日を女の子の節句とするのに対して、端午の節句は男の子の節句ですから、子供の節句にお酒ではつじつまが合わないわけですね。
実は端午の節句は中国でもたいへん古い節句で、旧暦の五月五日、五が重なることから、『重五』と言ったり、古い書物には『天中節』とも呼んでいます。この時節は「血肉の盛衰、寿命の長短、陽気の充満衰退のどちらかを決める時節だ」と言われています。
この日には薬湯に浸かり、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒に挿し、雄黄酒を飲み悪を除き、ガマガエルを浸けた蛙酒を飲み、陽気を増やし、寿命を伸ばし、トキワレンゲを浸けた酒を飲んで、夜安らかに眠る。こうすれば、この一年は好運に恵まれ、病気にかからず、すべて順調に行くと言われます。 そんなわけで、端午の節句は上は皇帝から、下は庶民まで、誰もがとても大切にする節句の一つです。
正直に言って、この原稿を書く前、端午の節句と関わりのある酒と言えば、雄黄酒だけで、それも『白蛇伝』を読んだ時に知ったことで、まさかガマガエルを浸けたお酒があるとは知りませんでした。
でも、明の弘光帝は体力をつけ、栄養をつけるため、端午の日に百官が朝賀に来たにもかかわらず接見せず、ガマガエルを捕まえて、酒に浸けることで一日中たいへんだったというエピソードもあります。
ところで、紀元前278年五月五日に、楚の国の偉大な愛国詩人屈原が国を憂い、湖南の汨羅江という川に身を投げ、一生を閉じた後、端午の節句に今一つ新しい内容が含まれるようになりました。魔除け、厄払い、幸福を願う節句は更に屈原を偲ぶ節日にもなったわけです。
唐の太宗、李世民は端午の節句に孫の無忌に白い扇子を送り、清らかな風を以って屈原のような美徳を世に知らせるべしと励ましたと言うことです。
また、清王朝の時代には、国の前途を憂える臣下たちは、「一葉の離騒酒一杯」、屈原の詩、『離騒』を読みながら酒を飲んだとのことです。菖蒲酒や雄黄酒を飲むだけでなく、屈原の詩を酒の肴にしたのです。
歴代の王朝も下り坂にある時、その都度多くの知識人が屈原の境遇と自分の境遇が共鳴し、特に端午の日、屈原が亡くなった日はいっそう嘆き悲しんだに違いありません。その嘆きを酒に酔うことで紛らわしたというエピソードはいくらでもあります。これこそ焼け酒ですね。
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