旧暦八月十五日の十五夜が過ぎますと、九月九日の重陽節、菊の節句が訪れます。
今では、この日を敬老の日と定め、老人のための行事がいろいろと行われます。重陽節は登高、高いところに登る、飲酒、お酒を飲む、花の鑑賞、菊の花を愛でるこの三つが主な行事です。今から、2000年以上も前の漢代にはこの三つの行事を一つにした行事、丘に上って、菊花酒を飲むという風習が生れ、現在まで引き継がれています。このことについて『続斉皆記録』という古書に、こんなエピソードが載っています。
河南の汝南郡、今の河南省汝南県に貴長房という人がいた。ある日、貴長房は市で薬草を売っている老人と合い、この老人道法にたけていることを知り、この老人について山奥で修練を始めた。結局、道を完全に身につけるまでには至らなかったが、魂の守り札をもらい、この守り札を持っていれば、土地の神を駆使し、鬼を鞭撻できるということです。同郷の人で桓景という人が費長房をたいへん尊敬し、彼から道を学んだ。ある日、費長房が桓景に「九月九日、お前の家に大きな災いが落ちてくる。この日は蓬を袋に入れて身につけ、高いところに登って、菊花酒、菊の花を浸けた酒を飲めば、災いから逃れることができると言った。桓景はこれを聞いて、その日は言われる通りにして山に登って菊花酒を飲んだ。その日、家に戻ると、家に残った牛、犬、鳥が死んでいたのだ。
この話は神話にすぎませんが、後漢の頃には九月九日の重陽の日に、高いところに登って酒を飲めば災いを逃れることができるという習わしがあったことを物語るものではないでしょうか。
漢代以降、重陽に登高し、飲酒する風習は歴代ますます盛んになっていきます。
今から1800年前の晋朝の桓温は重陽の日には閣僚を率いて竜山に登って飲酒しました。それに続く南北朝時代の孝武帝も即位前に膨城に旅した時、重陽の日に、項羽のゆかりの地、戯馬台に登り、酒を飲んだと言う話も聞いております。また、隋の陽帝も群臣を金山に招いて酒宴を設けたといいます。ここでいう金山は甘粛省西寧県から西へ35キロもあるといいますから、長い殿様行列を作って行ったのでしょう。
皇帝という大人物がこうしただけでなく、所謂小人物も例外ではありません。漢詩で名高い、李白、杜甫、孟浩然の『秋、万山に登り、張五に寄せる』や杜甫の『九日』、「重陽、1人杯に酒を注ぎ、病を推して江上台に登る」と言って、詩人は病気の身でも重陽には登高して酒を飲まないと気が済まないのでしょう。
そして、飲む酒も菊花酒、その菊花酒も一年前に菊の花を摘み、酒を醸すときにその花を一緒に入れて造り、次の年の重陽節に取出して飲むのです。
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