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2000年前、シルクロードはユーラシアを東西に貫く友好・文明の架け橋となりました。この舞台では数え切れない感動的な物語が上演されてきました。今から約2000年前の後漢の時代、漢の部隊は数千キロを越えて、雪の中を進み、天山山脈を乗り越えて辺境の駐屯部隊の救援に向かいました。この「電撃戦」の進軍と作戦の主人公・耿恭の物語は今でも広く伝えられています。今回の中国メロディーは血沸き立つ物語と音楽をお伝えします。
数百人対二万人の戦い
物語は今から約2000年前の西暦75年の西域で始まりました。物語の主人公・耿恭は匈奴との戦いの中、幾度も戦功を建てたため、戊己校尉という役職に任命されました。匈奴からの侵入を防ぐため、耿恭は数百人の兵士を率いて天山山脈の麓にある金蒲城という町に駐屯していました。
しかし、西暦75年の春、匈奴は2万人という大規模な攻勢をしかけ、金蒲城を包囲しました。取り囲まれた耿恭は危険を前にしても恐れることはありませんでした。匈奴軍が城を攻め始めると、耿恭軍は毒矢で匈奴軍を敗走させ、さらに暴風雨に乗じて毒矢に苦しむ匈奴の大軍を急襲しました。耿恭はわずか数百の兵力で二万の匈奴軍を撤退させたのです。
生きる望みをつなぐ
西暦75年の春、耿恭軍が金蒲城からより高く険しい疏勒城に拠点を移しました。一方、匈奴軍は大兵力を以て疏勒城を包囲し、ここに史上最も激しい防衛戦の幕が切って落とされました。匈奴軍は多くの死傷者を出して戦うものの城を落とすことができません。そこで、匈奴軍は町の水源の上流を分断させる作戦に出ます。
こんな危機の中、耿恭は城内にある水源を探し、30メートル以上も深く掘った先に水脈を見つけました。しかし、匈奴軍の猛攻が続き、町の中の生存者は徐々に少なくなります。耿恭軍の最後の希望は、敦煌へ救援を求めにいく使者で耿恭の部下・范羌に託されました。
帰還した十三人の勇士
疏勒城の包囲を破るため、後漢の朝廷は7000人の部隊を派遣し、救援に向かわせました。このとき天山山脈は大雪で山道が閉ざされていたため、援軍内には天山を越えて耿恭を救援に向かうかどうか意見が割れていました。救援を求めた使者の耿恭の部下・范羌は、救援を継続させる立場を堅持したため、援軍の将軍は范羌に2000人の部隊を与えて向かわせました。そして、ようやく後漢の援軍が疏勒城に到達し、救援部隊が耿恭軍と合流した時には、兵士たちは抱き合い泣いていたことが伝えられています。
このとき耿恭と部下はあわせて26人しか残されておらず、帰還中に身体の衰弱によってさらに13人が息絶えてしまいました。その後、耿恭は後世の人に「漢の軍隊の魂をここに讃える。耿恭とその部下は、命で栄誉を守り、血で伝奇を書いた」とその志を伝えたのです。
番組の中でお送りした曲
1曲目~大風歌(だいふうか)
この歌は漢の時代の皇帝・劉邦が作った詩「大風歌」をモチーフにした同じタイトルの歌です。
歌詞:
激しい風が起こり 空に雲が湧きあがった
何とかして勇士を集めて
天下を守りたいものだ
2曲目~出塞(しゅっさい)
歌は漢の時代、兵士たちが故郷を離れて西域の辺境守備に向かう切ない気持ちを表しています。
歌詞:
雁門関から出て 雄関を越え
両親に別れを告げて 長安から離れた
美しい鞍に飾られた駿馬に乗る
国を守るため
男は辺境へ向かう
3曲目~満江紅
歌は宋の時代の名将・岳飛が作った「満江紅」をモチーフにした歌です。詩は耿恭が匈奴と勇ましく闘う英雄の気概を讃えました。
歌詞:
怒りで髪は逆立ち
冠を突き飛ばしそうなほど
欄干に身を寄せていると
激しい雨が止んだ
眼を上げて
空を仰ぎ叫んだ
この胸は激しく熱くなっている
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