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戦場に響く歌声(前編)

2016-01-05 17:17:49     cri    

ナビゲーター 黄競

 1930年代から40年代まで、中国人民は14年間にわたる想像を絶する艱難辛苦、抗日戦争を経て、生き別れや死別、流浪を多く経験しました。この残酷な戦争にも中国人民は屈服することなく、「義勇軍進行曲」、「黄河を守る」など気迫ある歌が生まれました。これは進軍ラッパのように、愛国の志士を鼓舞しました。中国メロディー、今回から3回に分けて、抗日戦場に響きわたった歌を紹介します。

松花江上(松花江のほとり)

 1931年の9.18事変以後、東北部の3つの省が相次いで陥落し、数十万人が戦乱を避けるため流浪の民になりました。愛国歌「松花江上(松花江のほとり)」は当時、東北三省の人々の苦難に満ちた生活をリアルに描写し、眠っていた救国の情熱を呼び覚ましました。

敵さえも敬服した楊靖宇将軍

 当時、東北抗日軍が東北三省で激しい抵抗運動を繰り広げていました。楊靖宇将軍は抗日軍の最も素晴らしいパルチザン指挥官の一人です。1940年2月に反逆者の裏切りによって楊靖宇将軍は戦場で犠牲になりますが、彼の忠誠心と勇敢な戦いぶりは敵の日本軍にも一目置かれていました。

救国運動のラッパが鳴り響いた「卒業歌」

 当時、田漢や聶耳など進歩的な音楽家もかつてない情熱で抗日救国運動に参加し「卒業歌(卒業の歌)」、「義勇軍行進曲」など多くの愛国歌を作りました。

 有名な女性詩人、中国初代女性建築家・林徽因の弟は、こういった愛国歌の呼びかけによって空軍学校に入学し、飛行訓練に参加しました。しかし、残酷な戦争は彼女の弟を含む20数人の飛行士の若い命を奪いました。その後、この女性詩人は詩を書かなくなりました……

1曲目〜 松花江上(松花江のほとり)」

 この歌は抗日戦争の代表曲です。歌は九一八事変後、作曲家の張寒暉が亡命する同胞の悲惨な境遇を見て、作りました。その壮大でもの悲しいメロディーは人々が敵に一致団結して、共に抵抗することを呼びかけています。

 歌詞:

 我が家は東北松花江のほとり、

 あちらには我が同胞がいる。

 また老いて弱った父と母もいる。

 「九一八」、「九一八」、

 あの悲惨な時から、

 我が故郷を離れ、

 どの年、どの月に、

 私のあの可愛い故郷に帰えれるのか?

 どの年、どの月に、

 私のあの尽きることない宝の蔵の故郷に帰えれるのか?

 父よ母よ、父よ母よ。

 いつ喜びながら皆一緒に集えるのか?

2曲目〜 毕业歌(卒業の歌)

 この歌は有名な作詞家・田漢と作曲家・聶耳が作った抗日救国歌です。その速いテンポのメロディーは覚えやすく、心に響きます。また、人に逆境に立ち向かう力を与えてくれる歌です。

 歌詞:

 同級生たちよ、みな立ち上がれ、

 天下の興亡を引き受けよ!

 聞け、耳には大衆の辛さが満ちる!

 見よ、一年ごとの国土の退廃を!

 我らが選ぶは「戦」か「投降」か?

 我らは主人となり死に物狂いで辺境へ行かねばならぬ、

 我らは奴隷を望まず独立する!

 我らの今日は人材豊かで、

 明日は社会の大黒柱になる;

 我ら今日は一同に集まって歌う、

 明日は民族自らを救う巨大な波を湧き起こさねばならぬ!

 巨大な波、巨大な波を、絶え間なく増していく!

 同級生たちよ! 同級生たちよ!

 早く力を差し出せ、

 天下の興亡を引き受けよ!

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