hanshi0111
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日本では鏡開きも終わって、お正月の雰囲気が少しずつ薄れて来るころでしょうか。こちら中国では旧暦の1月1日=春節まで2週間ちょっと。年末、年越しの雰囲気が盛り上がってきています。お正月を家族で過ごそうと、故郷へ向けての帰省ラッシュも始まります。私自身のこどもの頃のお正月の楽しみは、お年玉をもらうことや、晴れ着を着せてもらうこと、美味しいものを食べられることよりも、むしろ、同世代の従兄弟たちに会えることでした。一人っ子の私は普段、家の中では大人に囲まれていたので、子供同士でご飯を食べたり、テレビを見たり、そんな何気ない事がとても楽しかった記憶があります。従兄弟たちとトランプやゲームをやろうとハリキッテいたものの私が一番年下で、コテンパンに負かされたことさえ、何だか楽しかったので、大人たちの酒宴が終わり、みんなが帰る時は、とても寂しかったです。さて、今日は厳維の「歳初喜皇甫侍御至」(歳初、皇甫侍御の至るを喜ぶ)を紹介します。
作者、厳維(げんい)は盛唐の詩人。越州、今の 浙江省紹興の人。当初、俗世間との関わりを嫌い隠れ住んでいましたが、のちに生活のため役人になりました。新年に、旧友の「皇甫侍御(こうほじぎょ)」が貧しい暮らしをしている我が家を訪ねてくれて嬉しいと言うのがタイトルの意味です。「皇甫侍御(こうほじぎょ)」とは皇甫曾(そう)のことで、侍御史という役職だったので、皇甫侍御と呼んでいます。「湖上」は湖畔のことで、「故人」は亡くなった人ではなく、古くからの友人です。「脩竹」は整えられてすっと伸びた竹です。もちろん、実際に千本あった訳ではなく「一老身」の一と呼応させています。作者が実際そうだったかどうかは解りませんが、老人と言うと腰が曲がったイメージで、まっすぐな竹と腰の曲がった老人も対比させています。湖畔はもともと静かでしょうが、新年と聞くと更に静まり返った感じがします。そこに懐かしい友達が訪ねて来て、貧しくて特別なおもてなしは無かったかもしれませんが、楽しい昔話に花が咲いたのでしょう。そんなお正月の一日が過ぎ、また、いつもの静かな日常が始まる。私はこどもの頃は楽しみにしていたお正月が終わるのは、なんだか寂しく感じていましたが、馬齢を重ねた今はむしろいつもの生活に戻ることにほっとしたりします。作者、厳維はどちらだったのでしょうか?
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