会員登録

「逢入京使(京に入る使いに逢う)」岑参

2016-10-06 16:00:53     cri    


 中国は国慶節の大型連休中。北京は中国全体から見れば、憧れの都、観光地です。大きな花籠や赤や黄色の中国カラーの花で飾られた天安門広場にも地方からたくさんの観光客が押し寄せています。北京に暮らす私は普段、天安門広場に行くことはほとんどありませんが、5月1日のメーデーの連休とこの国慶節の連休には毎年、天安門広場に行っています。数年前までは、ちょっと早起きしてでかけると、かなり近くで国旗掲揚式を見ることができました。最近は、観光客が多すぎて国旗掲揚台の近くまでいくのも難しくなり、人が少し引いたであろう時間帯に出かけています。そこで、毎年、写真を撮ります。自分の着ている服を今までの年と較べてみると、今年は寒くなるのが早いように思います。年によっては半そでのセーターという時もありますが、今年は長袖のブラウスに羽織るモノが必要です。さて、今日は岑参(しんじん)の「逢入京使(京に入る使いに逢う)」を紹介します。

 作者、岑参(しんじん・しんしん・しんさん)は盛唐の詩人。辺境の詩を得意としました。王羲之と並ぶ書家、顔真卿の下で働いたこともありました。上司である顔真卿が今の甘粛省青海省あたりに赴任した翌年、34歳の岑参も安西都護府(新疆ウイグル自治区トルファン)に赴任することになります。前回は、その赴任先に向かう途中、玉門関に滞在した時に作った詩を紹介しました。今日の詩は、作者がその玉門関を出て砂漠地帯を馬で進んでいる時のものです。タイトルの「京」は、都長安のこと。「故園」は、故郷、ふるさとです。「漫漫」はあたり一面、至る所ですから、砂漠を見渡すとあたり一面道が続いている、道しかない、果てしなくと言った感じです。龍鐘は、失意の様子や涙にぬれる様子をいいます。目の前に続く砂漠の風景を見ては、今後の生活を想い涙し、振り返れば今までの故郷での家族との生活を想い涙する。今の時代のようにインターネットで気軽に近況を報告し合える訳ではありません。まして行き先が砂漠のその先となれば、涙が止まらないというのも解ります。先日私が見た玉門関からの景色は、確かに360度遮るものなく砂漠が広がっていました。現代の都会に暮らす私が見ればなんとも雄大で解放感に包まれますが、同じ景色でも時代と境遇が違えば、思いも違いますよね。

関連ニュース
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS