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「玉関寄長安李主簿(玉関にて長安の李主簿に寄す)」岑参

2016-10-06 15:56:40     cri    


 過ごしやすい日が続いています。中秋節の連休が先週終わったばかりですが、今週末からは国慶節の大型連休です。秋の行楽シーズン、私は一足早く日本からの友人と敦煌へ出かけてきました。1994年、2004年に続いて3回目です。その度に街の様子は変わっていますが、雄大な景色は変わらずいつも私の心をとらえます。でも、同じ場所に立ってもその時の自分の境遇によって感じるものは違います。今回も玉門関に行きました。玉門関の関をずっと関所のような場所だと思っていましたが、ここはシルクロード和田からの玉が通った場所であり、交易の場所だったということを今回、知りました。ということは辺境の地とは言え賑やかな場所だったのでしょうか。往時のざわめきが聞こえてくるような気がしました。さて、今日はこの玉門関での漢詩です。この人は、どんな気持ちでここに立ったのでしょう。岑参(しんじん)の「玉関寄長安李主簿(玉関にて長安の李主簿に寄す)」を紹介します。

 作者、岑参(しんじん・しんしん・しんさん)は盛唐の詩人。30歳で進士に及第します。王羲之と並ぶ書家、顔真卿の下で働いたこともありました。上司である顔真卿が今の甘粛省青海省あたりに赴任した翌年、34歳の岑参も安西都護府(新疆ウイグル自治区トルファン)に赴任することになります。今日の詩は、ここに赴任する途中、玉門関に滞在した時に作られたようです。このころ玄宗皇帝は西域方面にしきりに兵を出していました。そんな時代背景からか岑参が置かれていた環境からか彼は辺境の地を詩にすることを得意としました。タイトルの「玉関にて長安の李主簿に寄す」の「玉関」(ぎょくかん)は敦煌から当時北東160kmにあった玉門関のことです。「李主簿」は長安県の主簿(事務官)のようです。詩の中の「故人」は友人のことですから、この李主簿のことを言っています。解りやすい内容の詩だと思います。遠く都を離れて、安西都護府(新疆ウイグル自治区トルファン)に赴任することになったけれど、その手前の玉門関でさえ長安とは全く違う風景で心細いのに友達からの便りも来ない。友達を恨めしく思う気持ち、友達の安否を気遣う気持ち。辺境の地で迎える年の暮れ。いろんな思いが交錯することでしょう。

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