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「秋思」劉禹錫

2016-08-30 13:35:54     cri    


 昨日は、二十四節気の1つ「処暑」でした。処はとどまると言う意味で、暑さが収まる頃ということです。日本にいた時と違って、北京ではこの二十四節気どおりに季節が動いていくような気がします。朝、公園に走りに行く時の必需品だったサングラスや日焼け止めクリームも出番が減りました。走り終わったあとの喉の渇きも、真夏の時より大分落ち着きました。吹く風のさわやかさも夏とは違います。夏の間は、アツイ、アツイと文句のように言っていたのに、その暑さもなくなるとなんだか寂しい気持ちにさえなってきます。この何だか寂しい気持ちになるのも、秋ならではと言った感じがします。これは、古今東西、人は同じように思ってきたようです。今日は、秋の思い、というタイトルの詩、劉禹錫の「秋思」を紹介します。

 作者、劉禹錫は中唐の詩人。日本では、白居易ほど有名ではないかもしれませんが、白居易とは交流があり、彼から詩豪と賞賛されていました。タイトルの「秋思」は、文字通り、秋の物思いと言う意味です。「寂寥」は、静かでさびしい様子。「秋日」の日は、一日と言うよりも日差しの意味の「日」のようです。直ぐ後ろに「春の朝」となっていますから、春の元気あふれる朝の日と較べ秋の優しい日差しのほうが好きだと言っています。 雲を排しての排しては、排除してと言う意味ですから雲を押し分けるような様子でしょうか。便利の「便」は、「すなわち」と読んで「言い換えれば」という意味です。「碧霄」は、青空のことです。秋の空は、「天高く馬肥ゆる秋」と言う言葉があるように、夏の空とは青の色が違って、淡く見えて空が高いように感じます。また、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ」と、秋の訪れは風が知らせてくれますが、今日の詩を読んでみると、秋の訪れは、空の色にも表れるように思います。夏が賑やかだった分、秋はなんだかもの寂しいのかもしれません。でも、うつむいていないで、背筋を伸ばして空を見上げてみようと、この詩は思わせてくれます。

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