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「勧学」陶淵明

2016-08-30 13:32:39     cri    


 8月というと「夏休み」という単語が、先ず思い浮かびます。今は学生時代と違って、長い休みもない変わりに、新学期までに仕上げなくてはいけない宿題もありません。宿題があったころは、8月も折り返しを過ぎる今頃になると「そろそろ、宿題をやらなくっちゃ」と、ソワソワしていました。子どもの頃は、「宿題なんてなければいい」と思っていましたが、大人になってみるとその宿題だけが悩みの種だった、もっと言うと、勉強だけをしていればよかったころが懐かしく思います。同じ出来事でも若い頃と今では感じ方が違うかもしれません。高校時代に学校で漢詩を学んでいた時にはちんぷんかんぷんだったものが、今になると鮮やかに情景が浮かんだりします。漢詩だけでなく、映画も小説も今改めて見てみると最初にその作品に触れた時とは違った感想を持つことも、よくあります。今日紹介するこの漢詩もその1つです。陶淵明「勧学」。

 作者、陶淵明は東晋の詩人。潯陽(じんよう)現在の江西省九江市(きゅうこうし)の人。役人生活を嫌って、最後には故郷で、酒と菊の花を愛し自適の生活を送り、田園詩人といわれました。古来、日本にも影響を与えました。今回、紹介した「勧学」は、自由に自分の思いを綴った詩、十二句からなる雑詩の後半の四句です。「盛 年」は、血気盛んな年頃、若い頃。「晨」は朝の意味です。勉め励むと書く「勉励」は、充実した時間をすごすことです。勉強の勉の字があるので、私は若い頃、その意味は「勉強しなさい」だと思っていましたが、この雑詩の前半をみると、そうでもないようです。前半では「人生には植物のような根のような拠り所がない。風に舞う路上のほこりのようなものだ。分散してもとの姿を保ち得ない。この世に生まれたからには、全ての人が兄弟のようなもの。血縁にこだわる必要はない。嬉しい時には、楽しくたっぷりの酒を近所の人と一緒に飲もう。」とあります。とすると、今回紹介した後半の「勉励すべし」の勉励は勉学にではなく楽しめる時には、思いっきり楽しみなさいということなのだと今は理解しています。「時に及んで 當に勉励すべし」は、学生だけでなく、全ての人に問いかけている言葉のようです。残り僅かな今年の夏。思いっきり楽しみましょう。

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