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「玉関にて長安の李主簿に寄す」岑参

2016-02-03 11:03:33     cri    

 地下鉄に乗っていると、車内の客層が変わっていることに気がつきます。多くの乗客で混みあうことはないのですが、キャリーケースなど大きな荷物を持っている人が増えています。今度の日曜日が旧暦で大晦日、8日の月曜日が春節。ふるさとでお正月を過そうと帰省ラッシュが始まっているのです。高速鉄道や長距離列車は混みあっているようですが、北京市内の地下鉄は乗客が減っていて、快適です。反対にちょっと悩ましいのが、騒音です。夜、残業していると窓の外から、爆音が聞こえるのです。お正月用の爆竹や花火を早くも打ち上げている人がいるのです。音の五月蝿さよりも「春節かぁ」とソワソワしてきてしまい、仕事に集中できません。でも、旧正月の春節は、仕事を離れてのんびりしようと思っていますので、その前に今が追い込みの時期かもしれません。

 作者、岑参は盛唐の詩人。湖北省の人。名門の出身ですが、若くして父を亡くしたため、苦学して進士の試験に合格します。現在の新疆ウイグル自治区のクチャや何度か辺境の地に赴きました。こういった体験に基づき辺境の詩を多く作りました。友人でもある高適、王之涣らとともに辺境詩人と称されています。

 タイトルの玉門は、長安、現在の西安から約2000㎞離れた玉門関のこと。ここに作者は来ているようです。北海道の札幌から九州の福岡までは約1500㎞。それより遠く、昔のことですし大変な旅だったでしょう。私は、玉門関へ観光で行ったことがあります。飛行機や専用バスで快適な旅でしたが、それでも玉門関からその先に広がる砂漠の景色を見たら荒涼としていて、さみしい気持ちになりました。ここから、西安にいる李主簿に書いた手紙のような詩です。李主簿がどんな人物なのかは、わかりませんが主簿は下級の役人のことです。「故人」は親しい友人のことで、李主簿です。「一行の書」は短い手紙。「どうして短い手紙もくれないんだ」と恨みがましくも聞こえますが、むしろさみしい心のうちを吐露しているのでしょう。残りの句を見れば解ります。「歳除」は、大晦日のことで、中国では一家団欒の日です。その日に家族や親しい友人とはなれて、目の前には荒涼とした砂漠の景色が広がっている訳ですから、さみしい気持ちは募りますよね。

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