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「癸丑岁暮杂吟」黄之隽

2016-01-04 15:15:46     cri    

 今年も残すところあと1日。日本からはお正月休みの帰省ラッシュが始まったと言うニュースも届いています。こどもの頃は、お年玉がもらえたり、親戚に会えたり、晴れ着を着せてもらったりとお正月はただただ楽しい時でした。大人になるとお年玉は渡す方で、その前に大掃除やら準備やら何かと慌ただしくお正月も手放しでは喜べなくなりました。普段、何かと忙しく部屋の片付けもままならない私ですが、年末になると部屋の片づけや大掃除をしなくてはという強迫観念に襲われます。日本の実家に較べれば、北京の部屋はモノが少ない・・・とは言え、北京に来てまもなく5年ですから、それなりに荷物がたまっています。少しは片づけようと積まれた書類や資料に目をやると、あ~、こんなところに行ったんだ、こんなところを取材したんだと思いもかけず1年を振り返ることになってしまいます。大掃除、きれいな部屋で新年をというだけでなく、1年を振り返るためにあるのかもしれません。

 作者、黄之雋は清の詩人、役人。現在の上海の人です。博識な人として知られ、唐の時代の人の句を集めて作った「香屑(こうせつ)集」が有名です。タイトルの癸丑は雍正11年、1733年です。この年の年末に作られた漢詩です。歳暮の言葉は、いまではお歳暮、年末の贈答品のイメージですが、もともとは年末、歳末の意味です。客となってとありますから、旅か仕事で家を離れていたのでしょう。それが、帰ってきたらもう年末になってしまった。歳又除の又の文字が、もう年末だよという気持ちをよく表しています。一楼とは、作者の部屋のことでしょう。乱堆の書、読み終わった本かこれから読む本かは解りませんが、乱雑に積みあがった雰囲気から作者の性格まで伝わるようで、微笑ましい感じがします。更に、債を避けての債は、債務の債、借金ですね。これを避けて、残った本をかかえて、蠹魚に埋もれようと言っています。蠹魚は、しみ、本を食べる虫ですから、虫に食われぼろぼろになった本に埋もれよう、外には借金取りがいて出てけないことを言っています。この本の虫は、本ばかり読んでいる人のことでもあります。年末に借金取りに追われ、隙間風の入る、でも日当りのいい自分の部屋に籠り、乱雑な本に囲まれている。清の時代の詩は、唐や宋の時代と違って、生活の様子や習慣が現代に近く、想像しやすいように思います。この詩もなんだか江戸時代の長屋の様子のようでもあり、ユーモアが伝わります。今年もいろいろありましたが、やはり最後は笑って終わりたいですね。

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