0513hanshi
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先週末はお天気が崩れ、雨が降ったり冷え込んだりして北京の5月らしくありませんでした。昨日あたりから、キラキラと太陽が顔をだし、いつもの5月が帰ってきました。私は4年前のちょうど今頃、北京にやってきました。来たばかりの頃は、買い物していると「これは、日本円にすると幾ら・・・」と換算していましたが、最近ではたまに日本に帰り買い物するとつい人民元に換算してしまします。いつの間にか、基準が中国になってしまったようです。それでも、まだ日本の感覚が抜けないところがあって、今頃になると新茶の時期だなと思ってしまいます。中国での緑茶の新茶はもう少し早く3月下旬から4月上旬の清明節のころ。やっと春めいたころに出回ります。春と新茶が一緒に街にやってくる感じです。今日は、新茶に関する詩をみつけましたので、紹介します。蘇軾の「詠茶(茶を詠ず)」です。
作者、蘇軾は北宋を代表する詩人。蘇東坡の名前でも知られています。今日紹介した詩は、青茶、いわゆる烏龍茶の産地として有名な福建省の武夷山のお茶を詠ったものです。粟粒芽は宋の時代、武夷山で最高級品のお茶だったようですが、現在は存在しません。資料によれば、芽を出す時期が早く、小さくて軽く柔らかいお茶だったようです。粟粒の芽と言う字からも想像できます。詩の中の丁、丁謂は「建安茶録」、蔡、蔡襄は「茶録」というお茶に関する本の著者で2人とも宰相まで出世した北宋の役人でもあります。闘品とは、闘茶のこと。お茶の良し悪しを競うものです。官茶というのは、皇帝に献上するお茶のことだと思いますが、どれを献上茶にするか闘茶して決めましょうと詠っています。コネや賄賂ではなく、お茶について意見を闘わせようというのは、お茶文化が盛んだったことの証明でもあります。この時代は闘茶のほかに「分茶」という遊びもありました。抹茶にお湯を注ぎ泡立てて、泡の形を雲や山などに見立てたり、泡で文字を描いたりして優劣を楽しむものです。今のカフェアート、カフェラテの泡をハートや葉っぱの柄などにするのと似ていますね。
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