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~人間関係に関する四字熟語~

2015-06-23 18:56:37     cri    


























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 人間関係といえば、いろんな人間関係がありますね。夫婦関係、家庭関係、友人関係、職場関係、及び敵味方関係などがあります。人間関係で悩み事を抱えている人は少なくないようです。

 中国社会と日本社会は色々違いますので、人間関係に通用できないものもあると思いますが、中国社会に適用する人間関係を表す四字熟語をいくつかご紹介します。ご参考になれればいいと思います。

 人各有志

 字面を見れば分かりますね。人にはそれぞれ志がある。人はそれぞれの志や抱負があります。

 人間の個性というか、それぞれの理想を尊重しなければならないという意味合いがあります。人それぞれに志があるので、無理矢理に一律の基準を決めて、強いたりしてはいけません。

 この面では、横並びが好きな日本と比べて、中国の方は、もっと各人の個性を生かしているように思います。だから、日本人と比べて、集団性が強くないということもありますね。一つのチームに、どうしても皆とあわせない人がいれば、まあ、「人各有志」、人それぞれ志が違うから、いいやといって、見過ごしてしまうケースもあります。

 別に無理して、人に合わせたりしなくても、気が楽であれば、いいかもしれません。しっかりとしたり志を持っていれば、それを目指して頑張るといいと思いますね。もちろん、場合によりますけどね。

 君子之交

 「君子之交(くんしのこう)」。これは、荘子の言葉、「君子之交淡如水、小人之交甘如醴」、君子の交わりは、淡きこと水の如く、小人の交わりは甘きこと、醴の如し。が出典となっています。

 君子は徳のある者。その反対語に、徳のない者は、小人と言います。君子の交際は淡々としているために親しみは深くなり、小人の交際は甘くて利を離れないために、最初は甘酒のようですが、やがて途絶えてしまうという意味ですね。

 中国語では、「君子之交」という四字熟語以外に、「君子之交淡如水」原文のままで引用されることが多いです。

 「君子の交わりは淡きこと水の如し」に関して、こんな故事があります。

 唐の初期、薛仁貴(せつじんき)という有名な武将がいました。若い頃は貧しく、妻とボロボロの洞窟に住み、畑仕事を生業としていますが、それでも衣食が足りず、近くに住む王茂生夫妻によく助けてもらいました。

 後に、薛仁貴は妻の進めにより、軍に入り、唐太宗と一緒に高句麗に遠征した際、大きな手柄をあげたため、「平遼王」と封ぜられました。

 故郷に錦を飾った薛仁貴に、大勢の人が訪ねてきてプレゼントを贈ろうとしていましたが、薛仁貴はそれらをすべて丁寧に断りました。唯一受け取ったのは、昔近所に住んでいた王茂生が送ってきた二缶の「酒」です。

 しかし、酒が入っているはずの缶を開けると、中にはなんと酒ではなく、水が入っているのです。薛仁貴は茶碗で掬って、ぐいぐい飲みました。

 「以前、貧乏だった私に、王茂生夫妻の助けがなければ、今の私はない。王兄さん、今は貧しいので、酒は贈れないが水を贈ってくれるのは、祝いの気持ちを示すものだ。これこそ、"まさに君子の交わりは淡きこと水の如し"だ」と話しました。

 その後も、薛仁貴一家はずっと王茂生一家と緊密な仲を保っていました。

 「君子之交」に関する故事でした。水は味がしないのですが、人間に必要なもので、いつまでも飽きないもの。一方で、小人の交際を例えた「醴」は、甘酒です。一回嘗めただけで、甘美なのかもしれませんが、いざ喉が渇くと、甘くてベタベタするので、喉の渇きをいやすことができません。

 そもそも真の友情は、常に甘い言葉だとか、ものなどで確かめる必要がありません。友達だから高いものを贈ったり、行動を合わせたりする必要もありません。やはりそれぞれが独立した人として、必要な時に助け合うことが出来ればいいと思いますね。

 礼尚往来

 続いての四字熟語は、日頃のお付き合いには贈答やもてなしも大切だということを示す言葉です。「礼尚往来」。何かをもらったら、必ずお返しをします。

 日本人はこの面でとても律儀ですよね。中国人の私から見てみますと、時々返してくれるのがあまりにも速いので、かえって「面倒くさい。贈らなければよかった」とでも思ってしまいます。

 それは日本人独特のこだわりなのかもしれません。深い意味はありませんが、礼儀として、社会的通例に従って、きちんとお返しをすることがあります。

 一方では、そんな律儀な日本人と対照的に、中国人はすぐにお返しをする習慣がないようです。付き合いは長いので、次のタイミングでお祝いなどを贈ればいいと思ってますね。でも、おもてなしや金銭の面では、しっかりと、「礼尚往来」のルールを守っています。

 日本では友人との食事などは、割り勘で支払うことが多いのですが、中国では誰かが全員をご馳走する、おごる形が多いです。そして、次回また集まるとき、別の人がお金を払うということです。この間、誰々さんにご馳走してもらった。次回、私が何とかしなくちゃ。。。と思いますので、友達との集まりが大きくなり、自然と人間関係がスムーズになります。

 「贈答」、ものを贈ったり、送り返したりするという考え方は、日本人でも中国人でも共通していますね。やはり、「往来」、送り返しなどがなければ、贈るほうも気まずくなり、「礼儀」が成り立たないんでしょうね。

 難得糊塗

 糊塗は、ごまかすこと、バカという意味ですから、「難得糊塗」はバカは得がたし、バカになれという意味です。

 これは清の時代の画家、鄭板橋の書です。バカは得がたし「難得糊塗」という4つの大きな字の下に、さらに、「聡明になるのは難しい。糊塗になるのも難しい。聡明から転じて糊塗になるはさらに難しい」などと、小さな字で書き添えました。

 聡明になるのは難しい。これはよく分かりますね。でも、「出る杭は打たれる」と言われますから、聡明さはほどほどでいいということでしょうか?

 聡明になるのは難しいけど、糊塗になるのも難しい。バカの人生は辛い。人に嘲笑われたり、無視されたりするのは、耐え難いことです。

 しかし、聡明な人やバカな人よりは、バカなふりをしている本当の聡明な人こそ、一番難しいです。これは鄭板橋がいう「難得糊塗」、バカは得がたしということです。

 これは実は"大智若愚"「大賢(たいけん)は愚なるが如し」と同じような意味です。非常に賢い人は、知識をひけらかさないから、ちょっと見たところでは愚かな人のように見えるのです。

 つまり、智恵や知識というものを全部剥ぎ取って、糊塗、無造作な状態になったわけですね。いつでも自然体のままで行動を取る。聡明な人にもバカな人にも支持されるでしょう。

 バカじゃない人がバカな振りをする。人間にとって、一種の保護色を身に着けると言うことでしょうか。

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