jingji
|
聞き手:王小燕
中国では6月7日、8日に、年に一度の大学入試(「高考」)が終ったばかりです。今年は、全部で940万人が「高考」に参加しました。この内、北京市の受験生が60638人を占めています。
成績が6月末に発表され、出願書の提出もその一週間後に終了しました。この後、7月中旬から合格発表になり、入試関連の諸手続きはこれでようやく一段落しました。
毎年、入試のシーズンになりますと、社会から大きな関心が寄せられている「高考」。参加した受験生の一人ひとりが、どのような気持ちで、この試練に挑んだのでしょうか。今日は、今年の大学入試の受験生に感想を聞きます。ゲストは、中学から日本語を第一外国語として必修で学ぶ北京市月壇中学をこの夏に卒業した、遅宇希さん(19歳)です。
遅さんは北京生まれの北京育ち。子供の時に見た「ドラえもん」や「ポケットモンスター」の影響で、自らの意志で日本語を学ぶ中学と高校に進学。4年前の2013年、中学を卒業した年に、日本国際交流基金日中交流センターの高校生招へい事業「心連心」に参加し、和歌山県岩出市で一年間滞在。「受験勉強を体験した人間にとって、4年前のことが遠い昔のことのようにしか思えない」とは言うものの、「日本はきれいな国で、人々もとても優しかった」と好印象でした。
流暢に日本語が話せる遅さん。今年の大学入試の「日本語」科目では、なんと見事満点が取れ、合計点数も639点という高得点でした。「自分としてはまあまあ満足のできでしたが、数学ではミスもあり、それがなければ、もう少し良い点数だったのに」と悔しさもありました。
ところで、遅さんのクラスでは、半分以上の同級生が中国での大学入試を見送り、日本留学の道を選びました。進路を決める高二の夏、仲良しの友人が相次いで日本留学を決めたのを見て、遅さんは大いに悩みました。とりあえず、日本留学に必要な試験に自分も参加し、行く準備だけはしていました。
遅さんを「高考」に参加したくないと思わせた理由の一つは、「高考」という言葉の持つ「恐ろしい印象」だったと言います。
「それまでに"高考"といいますと、ドキュメンタリ映像で見た"世界最大の入試工場"という別名がある『毛坦厂中学』を思い出します。あまりに怖かったので、そんな恐ろしい体験は、私はしたくはないなと思いました」
しかし、人生は怖いものから逃げてばかりでは本当に良いのか、迷いもありました。
「それで、考えても、考えても結論が分からなかった。考えてばかりだと、前へは進めない。それなら、逃避せずにチャレンジしてみようではないか」
当時のことを振り返れば、遅さんは悩みの伝わる不安な声でした。
――さて、それで参加してみて、結果は?
「全然怖くなかったですよ」、と一転して笑い声が上がりました。
「とにかく、毎日やれるだけのことはやって、後は神様に任せる。そして、自分を信じることですね。確かに疲れましたが、疲れたって、一晩でも寝れば、元気になれる」
若者らしいエネルギッシュな応答でした。そして、インタビュアを驚かせたのは、実に淡々と語った次の対話でした。
――受験準備をしていた間、毎日、何時間寝ていましたか。
「私は睡眠をしっかり取ったほうでした。でないと、授業の時に眠くなるので、逆効果です。そうですね。毎日、5時間はしっかり寝ていました。夜は10時に寝て、朝は3時に起きて、宿題をしたり、模擬試験の問題集を解いたりしていました。3時起きだと、学校に行くまでの間に、たっぷり時間があるので、なんでもやりたいことはできましたよ」
…
高校時代の最後の夏休みをしている遅さん。今、夢中になって頑張っていることは、運転免許の取得です。早起きの得技が生かされ、毎朝6時に起きて教習所に通っています。このほか、家族や友達たちとの旅行も計画していて、英語の学習も心がけていると言います。
――大学での専攻は?
「コンピューターを習いたいです。できれば、北京を離れて、南方の大学に入り、北京と違う文化を体験してみたい。大学生活こそ、自由に過ごしてみたいです。やりたいことは何でもチャレンジしてみたい」
もちろん、お得意な日本語、そして、日本と結んだ縁についても忘れることなく、「チャンスがあれば、日本へ留学に行きたい」。
頼もしい高校三年生。4年後に、大学を卒業する予定ですが、「その時にまたぜひスタジオに遊びに来てくださいね」と約束してのお別れでした。
ということで、今回は「940万分の1の大学受験物語」と題して、19歳の遅宇希さんのお話をぜひお聞き逃しのないように。
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |