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日本人スタッフのつぶやき344~ 中国で一番大事な言語が英語という事実

2016-09-22 16:44:55     cri    

向田 和弘

 もし私が敏感であれば、もっと昔に気づいていたのではないかと思うのだが、ひどく鈍感な私は、中国に住むようになって10年目を過ぎたあたりからやっと、一つの事実に気づき始めた。それは、「中国で一番大事な言語が英語である」という事実だ。いささか逆説的ではあるが、紛れもない現実の一部だ。

 ■英語人材ニーズは年々上昇中

 中国の民間企業に勤め、「経済指標の一つとしての平均年収」を調べることが日課のようになっていた当時の私は、ネット上の転職サイトをいくつかハシゴする癖がついており、さらに、当時から管理職の採用を担当することも多くなっていた為、採用に関する必要条件に取り分け注目するようになっていた。

 そしてこの10年ほど前から、この国には採用にあたって幾つかの階層が存在していることが分かった。階層というと語弊があるかもしれないが、要は極めて能力主義になってきたと言い換えても良いかも知れない。それは昔は学歴という紙で証明されるものが中心で、大卒であったり関連学部卒であることがある程度の質の保証を意味するものだった。

 もちろん、思考能力の低下したHR部門のスタッフには、往々にして履歴書を読む能力はなく、学歴は人材分別のための基準として存在する。しかし、中国では1999年から大学の合格枠の拡大が始まり、その後その学生らの卒業に合わせて、受け皿としての合格枠拡大が連鎖反応のように起こっており、それまでの学生と比較すると、当の学生でさえ「質が落ちた」と言って憚らない教養の凋落が始まっていることが、人材マーケットの状況を変えつつある。

 学術の世界で泰斗と言われる人物はほぼく亡くなってしまった。77年に全国大学統一入試が復活してからも、学生の質は落ち着いていないようであるから、これは仕方のないことかもしれない。そして、最後の砦であった直系の学術継承者(直弟子)の人々も、約15年ほど前には一線を退き、現在では若手が学校を仕切るようになっているので、余計に現実社会に迫られる形で拝金的にトランスフォームした「職業学者」の色が濃くなっているのが悲しい現状である。

 話が逸れた。中国では、そうした質が低下し、様々なものが画一化された教育機関を卒業した人数が爆発的に増えている。しかし、企業の数、ポジションの数はあくまでも限定的である。さらに、出てくる人数が増えるということは、それなりに玉石混交を免れなくなり、現場からは「人はいるけど人材はなかなか・・・」というぼやきを聞くことになる。さらに、中国ではこの20年で急速な国際化が進行しており、北京などの大都市では、人口の20パーセントが外国人に成った時、という目標のもと、各種のライフライン建設が急がれている。そうなると、勢い外国人に対応できる公共施設が求められ、さらには外国との関係をつなぐ人材を求めるようになってくるのは火を見るよりも明らかなこととなる。中国のその辺の意識は日本よりも数段高く、それを受け止める市場の成長も目を見張るものがある。しかし、実際には日中韓ではあまりにも国際通用語としての英語を理解する人材が育っていない。この三国以外の周りの国を見れば、どの国でも当然のように英語を喋っているのに、だ。

 ■大学卒業には英語の級が必要

 日本にいるとわからないし、おかしなことに全く必要を感じないのだが、中国の大学では、その卒業に際し大学英語4級(院生は6級)の取得が求められる。これはある時期には必須の条件で、資格証書がなければ学位記をもらえなかったほどであるが、見方を変えると、中国の大学生はこれによってある程度の英語のリテラシーが担保されているということになる。

 学校によっては、英語にかける時間が本来の専門課程にかける時間よりも多いという学生もいるほどで、彼らは異様な負担を強いられている。この点は、日本の学校にも見習ってほしいところで、私がよく思うのは「日本の大学が英語の資格を卒業要件に課したら、日本の英語アレルギーもかなり解消されるのではないか」という点である。というのも、私も大学在学当時は中国語ばかりに浸っており、英語を捨てた状態で過ごしてしまい、社会人になって何十年も経った今、毎日英語の「復讐」を受けて苦しんでいるような有様だからだ。

 「大人」なると付き合いが広がり、英語圏の人に会うのはもちろん、英文資料やニュースを読まなければならないケースにもぶつかり、前世紀の学力では到底追いつかないことになっている。そして何より、ビジネスでも必要になるシーンもたくさんあるからだ。この時代に「英語できません」では済まされないのである。サバイバル能力に長けた中国の若者や人材が、この需要に敏感に反応するのは、当然の帰結だろう。

 ■市場の反応

 こうして、今の時代、この国では、英語のリテラシーはそれを身につけているのが当然のことのように捉えられ、更にはそれ以上のものを実際のビジネスの現場はもちろん、就職や、ステップアップを目指す転職の際に求められるのである。各企業は国外に市場を求め、人材も国の壁を越える力を求められる。その時に、中国語だけではお話にならない。中国の消費市場は大きく、確かにそこだけで「食える」現状も存在する。しかし、そこで落ち着いてしまうほど、この国の人材は安穏としてはいない。

市場も市場で、彼らをターゲットとしたビジネスを展開している。英孚(English First)や華爾街(WallStreetEnglish)などはオーラルコミュニケーションに重点を置いたカリキュラムを提供しているし、新東方(New Orient)などは各種試験を目標としたカリキュラムをこれでもかというくらい用意しており、いずれも莫大な売上を上げている。私もそのうちの一つに通い、結構な投資をしたが、それほど回収できていない。それでもたくさんの学生がその門を叩き、英語コンプレックスを埋めようと努力している。この需要と供給のバランスはしばらく崩れることはないだろうし、これからも莫大な金銭が吸い込まれていくことだろう。もちろん、留学する者の割合は日本よりも多く感じるし、金に糸目をつけず一流校に送り込む親はそれこそ五万といる。

 私は最近、過去の反動からか、イギリスやオーストラリア、フィリピンの教師とスカイプを通して授業を受けるようになった。仮にも昔は得意だった英語を取り戻そうと、必死というか、ビジネス英語講座の一部として渋々始めたフィリピン人講師とのやりとりにハマっており、フィリピンからはみ出してオーストラリアやイギリスにもその幅を広め始めている。総合講座をきっかけに、うまく嵌められた格好だ。しかし、日中韓の三国は、マーケターに言わせると「教室がないと実感がわかない、価値を感じてもらえない」という変な感覚のせいで、スペースを持たないと生徒が集まらないという説もあるので、実際に身近でこのような学習をしている友人には数名しか出会えない(聞いてみるとフィリピン人の英語を莫迦にする声が多いのだが、実際には、しっかり見極めれば、かなり高い能力を持った教師に出会える)。

 この局面は、最近ではインターネットの普及で「引きこもり」が増加し、前回も書いたようにネット教育も日の目をみるようになっており、大々的広告を打つようにもなっており、大きなビジネスチャンスになることが予見されるが、現状はVIPABCなどの数社しかない状態で、やはり教室型がメインのようだ。

 しかし、今は数社だが、英語はこの先、最強の生命力でネット市場を席巻することになるだろう。それはいつも3年前にトレンドを掴んでしまう自分が言うのだから間違いない。

 □EFの携帯サイト(イメージキャラクターは俳優胡歌・上から2段目)  

 WallStreet Englishのサイト(イメージキャラクターは歌手のジェーン・チャン)

 VIPABCの街頭広告(イメージキャラクターはバスケットボール選手のヤオミン)

 ■先を見据えた投資をする中国の親たち

 社会人にはこうした語学教育機関が手ぐすねを引いているが、その周辺には英語での教育があり、その規模も小学校から大学院まで、この国では幅広い品ぞろえを持つようになっている。日本でも最近注目されているIB(インターナショナルバカロレア)資格に合わせた学校も現にどんどんできており、富裕層の子供達が小さな頃から外国を目指している。また、社会人向けにはMBAコースが英語で提供されている。こうした世界へと繋がる成長のコースを描いた教育に熱を入れる親は、日本にはそれほどいないのではないだろうか。

 まずは学歴に始まり、そして海外の学歴へ、海外でのエリート街道へと、中国の親たちはすでにその目標を海外に据えた布陣を敷いている。その貪欲さには、日本人は100%負けているし、もっと見習うべきだと常に感じている。

 言ってみれば、安穏と暮らす一般的日本人は、すでに戦わずして世界に負けているのである。私は年に数回帰国しているが、その度に日本の淀んだ空気に苛立ちを覚えるのは、もしかするとその所為かもしれない。

 ■未来を拓く外国語

 全く違う言語音の体系との遭遇には、心理的なギャップが伴う。幸い私は小学生の頃、親が通わせてくれた英語教室のおかげか、少しは音感があるようで、フィリピンからの英語には喜びのようなものを感じた。だが、残念なことに、外国に飛び出す人材はひとつまみしかおらず、実際には国内に引きこもる若者も多い。

 英語は現在国際公用語的なポジションを獲得しており、おそらく世界の多くの人が学んでいるし、日本では1300万の学習者がおり、出した教材が当たればビルが建つような時代になっている。それほどの学習人口を抱えているということだ。使用人口では中国語が上だが、国際ビジネスの場では、やはり英語が主役なのだ。

 英語だけでなく、外国語が「地球上の日本や中国」を知る為には欠かせないツールであることは、皆さんにもお分かり頂けるだろう。何人の方が私たちの番組を聴き、フェイスブックなどからこうした書き込みを読んで頂いているかは想像がつかないが、是非とも中国語なり英語なり好きな外国語をしっかりと勉強し、中国の若者やビジネスマンに負けない武器を身につけてほしいといつも願っている。外国語が話せて書けるようになれば、簡単なところではお得な買い物ができるだろうし、世界の美味しいものを食べることができる。そして、ネットサーフィンで情報を入手し、更には旅行に出て自分に最適な居場所を見つけることもできるだろう。限りある人生の中で、世界に溢れる様々な驚きを味わえないことは、非常に残念なことだ。

 ■生き残りをかけた学習へ

 以上に色々述べてきたように、それが各自にとってどのような意味をもつものであれ、ツールとしての外国語、特に英語は中国では必須のものになっている。日本の教育においても、現代の教養としての英語教育を強化し、是非ともこの世界のダイバーシティに適応できる人材を育てて欲しいし、シンギュラリティの訪れを迎える時、一人一人が力強く生き抜いていくためのサバイバル能力を習得するためにも、世界で戦う力としての英語を一人一人が身につけていって欲しいと思うのである。コンピュータが人間を越える時、まだ自分が必要とされるためには、そうした努力が欠かせないし、さらにその時代で生き残っていくには、時代の進歩以上の努力が必要になるはずだからだ。そして、この流れは今に始まったものではない。かの毛沢東主席も、還暦を過ぎてもなお英語の勉強に力を入れ、英語教育の重要性を訴えていたことは良く知られている。

 会社がいつ潰れるかわからない世の中で、「僕は大丈夫だ」などと言っていられる期間はどんどん短くなっている。いうまでもないことながら、私もその中で生き残る努力を続けるつもりでいる。縁あって拙文を読まれた方にも、未来への備えを怠らないで頂きたい。

2016.9.11

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