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【私にとっての戦争と平和】北京の思い出~三田満さんに聞く①

2016-08-09 16:01:36     cri    


 戦争と平和について考えさせられる季節。昨年に続いて、今年も特別企画「私にとっての戦争と平和」をお送りします。今回から3回にわたって、三田満さん(86歳)に伺います。

 三田さんは、日本の植民地支配下の現在の韓国仁川(インチョン)に生まれ、小学校卒業まで滞在。その後、北京(当時「北平」)に移り、中学校の約4年間は北京で暮らしました。1945年、16歳の年に、少年兵として召集され、初めて日本の土を踏みました。海軍航空隊の予科練に入隊しましたが、程なく日本は敗戦を迎えました。軍隊体験はわずか数か月でしたが、生涯忘れることのできない深刻なものだったと振り返ります。その後は廃墟から這い上がった日本社会と歩みを共にし、生活の糧を稼ぐために全国を転々としました。定年退職後は中日友好事業に身を投じ、これまでに30回あまり中国を訪問しています。

 「人生で最も多感な年頃を過ごした北京は、心の中では故郷のようです」

 第1回のインタビューは三田さんが今も懐かしく、毎年必ず訪れている北京の思い出です。当時中学は5年制でしたが、戦況のエスカレートに伴って、中学生でもどんどん軍隊に入隊していくようになっていました。三田さんの少年時代も、北京を離れ少年兵になったことで、終止符が打たれました。一人息子の出征への寄せ書きに父親が書いた一筆は、今でも忘れられません。それは、「桐の小箱になって帰ってちょうだい」でした…

 【プロフィール】

 三田満(みた みつる)さん

 1929年12月 現・韓国仁川(インチョン)生まれ。

 1935年 父(久保田鉄工所庶務課勤務)が北京へ転勤

 1942年2月 中学受験のため北京へ(北京中学校4期生)

 (1945年まで両親と共に、天安門近くの北池子にある四合院で暮らす)

 1945年4月 土浦海軍航空隊予科練入隊のため、単身で初めて日本の土を踏む。

 土浦海軍航空隊の入隊と共に、藤沢にある同航空隊分校にあたる海軍電測学校に編入。

 日本の敗戦後、母方の祖母が住む熊本に復員。

 天草、対馬、福岡、大阪、東京など各地を転々として、アルバイトで生計を立てる。

 1954年、アメリカ銀行(バンク・オフ・アメリカ)の米軍向け窓口業務の仕事をしながら、早稲田大学政経学部の入試に合格。

 卒業後、コネクタやレジスタなどを扱う外資系企業のAMP、NCR、ドットウェルなどでの勤務を経て、中小企業診断士の資格取得。友人と共に、電子部品の会社を自ら経営。65歳の定年退職と同時に神奈川県日中友好協会に入会。中国語の学習を始めると共に、留学生に日本語を教えるボランティアを務める。

 その傍ら、神奈川県徐福研究会、日中未来の会など中国との文化や歴史的なつながりを研究し、将来に向けた中日関係を考える民間団体で、中国や中国人との交流を深め続けている。

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