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私にとっての日本、私にとっての中国~ライター・趙海成さん&原口純子さんに聞く(下)

2016-05-17 19:25:53     cri    

聞き手:王小燕

 

 中国や日本で、「日本」あるいは「中国」と出会ったことが、その後の人生に大きな影響を及ぼしたという人が大勢います。趙海成さんも、原口純子さんもその中の1人です。

 趙海成さんは小学校の同級生に、偶然日本人の子がいました。ある日、北京放送に働く日本人専門家の子弟が突然趙さんのクラスに転校してきたのです。このクラスメイトのおかげで日本のコミック雑誌やカラーフィルムなど、当時の中国では珍しいものに誰よりも早く触れることができました。そして、これがきっかけになり、大学でも日本語を専攻。1985年には、日本への留学を決意しました。

 趙さんが日本に渡った年は、中国では改革開放政策が始まって間もない頃でした。世界各国から貪るように知識や技術を吸収し、留学もブームになりつつありました。

 そんな中、趙さんは留学生活を送りながら、1988年12月1日、有志と共に中国人留学生の生き様にフォーカスする「留学生新聞」を創刊しました。初代編集長には趙さんが就任し、創刊号の発行部数は5万部。現在も続いているその新聞は、「現代の在日中国人留学生の発展史」の記録媒体としても知られています。

 一方、「フランス大好きのヨーロッパかぶれ」だった原口純子さんは1993年、夫の中国駐在とともに北京での暮らしを始めました。中国に対する予備知識がないまま、北京で暮らし始めましたが、意外に楽しい発見が多かったと振り返ります。その後、『踊る中国人』、『中国の賢いキッチン』をはじめ、生活者の視点からのエッセー集を次々と出版しました。また、中国での暮らしが長くなるにつれ、中国人との触れ合いが多くなるにつれ、実感した中国と、日本国内で伝わっている中国イメージのギャップを感じ、そのギャップの解消に向け、自力で、あるいは、仲間たちに呼びかけて、様々な出版企画を手がけてきました。

 お二人とも日本、あるいは中国にどっぷり浸かるようになって、20年以上の月日が経ちます。相手国への関心から離れられない一番の理由は何か。中日間の絆を今後、次世代にどのようにして作って渡していきたいのか。

 日本/中国とのかかわりの原点と今後に向けての期待を伺ってみました。

【プロフィール】

趙海成(ちょう・かいせい)さん

 1955年北京生まれ。

 82年北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。85年に日本に渡り、日本大学芸術学部でテレビ制作を専攻。88年には初の在日本中国人向け中国語新聞『留学生新聞』の創刊に携わり、初代編集長を10年間務める。95年、10か国の在日外国人向け外国語媒体を束ねる「外国人情報誌連合会」代表に就任。

 99年、中国情報を発信する日本の衛星放送事業者、大富の宣伝部長に就任。また、同じく99年には、外国人にかかわる諸問題について都知事に意見を述べる「外国人都民会議委員」に東京都より選出される。2000年、日中合作ドキュメンタリー「シルクロード」の制作に参加。2002年に中国に帰国。以後は日中を行き来しながらフリーのライター/カメラマンとして活躍している。

原口純子(はらぐち じゅんこ)さん

 ライター・エッセイスト。

 1993年から北京在住。日本の雑誌、機内誌を中心に中国のライフスタイル関連の取材、執筆をひろく手掛ける。著書に『踊る中国人』『中国の買い物キッチン』『中国の賢いキッチン』『北京上海 小さな街物語』『踊る!大北京』『歳時記 中国雑貨』など。好きな中国語は「猫冬(冬ごもり)」。

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