jpjingji20150616-2.mp3
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中国の代表的な劇作家・曹禺のエッセー集『迎春集』に、「ある日本のお嬢さんに捧げる手紙」(原題:致一个日本姑娘的信)という文章があります。彼が1956年、中国からの文学訪問団の一員として訪日した際、通訳をしてくれた若い女性への手紙という形で綴られたエッセーです。文中には東京にいながも、いつも心はここにあらず、中国のことを思って「寂しい」と言う若い通訳のことが書かれていました。そして、若い通訳との会話を通して、当時の日本社会の様子や中日関係の一側面も生き生きと描かれているのです。その若い通訳とは、もちろん神埼多實子さんのこと。
「良く読むと私のことが書かれていました。当時、中国からの訪問団が日本に見えると、1ヶ月以上の長い滞在になりますので、ずっと一緒に行動し、いろいろとお話ができました」
スタジオでこのエピソードについて語る神崎さんの目は、輝いていました。時が経っても、この時のことは宝石のように輝いています。20歳から中日民間交流の現場で、通訳として活躍されていた神崎多實子さん。後に「東京駐在廖承志連絡事務所」主席代表として訪日した孫平化氏の紹介で、「LT貿易」として知られる「中日覚書貿易」事務所にも勤務しました。通訳人生を歩みながら出会った人々。忘れられない思い出がたくさんあります。
中国と日本の国交正常化がまだ実現していない時代、通訳を通して交流現場で感じた人と人の生の付き合とは?
神崎さんがサブ通訳からベテランになるまでの間の世界は、冷戦を背景に、中国と日本の間でもまだ盛んな交流もなく、中国国内でも文革などの政治運動で混乱した時期もありました。これは、日本人の中国語学習者にとって、決して恵まれた環境ではないように思います。それでも、困難を乗り越え、語学力を磨き続け、後々、名通訳となったコツは何か?
今回は、ベテラン通訳者の成長物語。ぜひお聞き逃しのないように。
【プロフィール】
神崎多實子(かんざき たみこ)さん
1935年生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年日本に帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒業。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳暦50年余り。NHK BS通訳、サイマル・アカデミー講師。
編著書:『中国語通訳トレーニング講座 逐次通訳から同時通訳まで』(東方書店、1997年)
神崎勇夫遺稿集『夢のあと』(東方書店、2010年)
『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』(東方書店、2014年)
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