日本語の北京五輪応援ソング、「オリンピック・イン・チャイナ」を自ら作詞・作曲した歌手の陳莉麗さん。この歌に込められた思いや完成の裏にある秘話に迫りました。
2001年の暮れ、北京が第29回五輪大会の開催都市に決まったとき、陳莉麗さんは日本の自宅にあるテレビの前で感動の涙を流していました。「北京五輪のために私もなにかできたら……」と思う半面、「長年母国を離れた私には何ができ、どうすればいいのか、あの時は想像もできませんでした」と陳さんは振り返ります。
そんな中、北京市が2008年の五輪応援ソングを募集していると聞き、自分の五輪に対する思いを「オリンピック・イン・チャイナ」に託しました。今年の3月、仕上げた作品を自らが北京まで持参し、直接主催側に届けました。
陳さんの歌は、主催側の関心を集め、日本語の歌に訳してほしいとの依頼を受けました。当時主催側には1万曲あまりの歌が集まっていましたが、そのほとんどが中国語や英語で、日本語の歌はありませんでした。
日本語と中国語の言い回しなどには違いがあるので、歌いやすくするために日本の友人にも意見をもらうなどして工夫を重ねました。
「オリンピックの聖火はCHINAに燃える オリンピックの聖旗は万里長城はためく オリンピックの選手は北京に集う……。」北京五輪唯一の日本語応援ソング、「オリンピック・イン・チャイナ」はこうして誕生しました。
四川の生まれの陳さんは、幼いころから歌と踊りが大好きでした。14歳の時に周りの反対を押し切って芸能の世界へ飛び込み、自身の才能と努力で地方から北京へ、そして日本へと活動の幅を広めていきました。作品「あ!夢に」は日本でカラオケの曲目に収録されています。現在は公演などを通じて、中日の文化交流に尽くしています。
陳さんは、「五輪の精神とは、常に上を目指して、限界を追求し続ける不屈の精神であり、これはスポーツの世界でも、芸能の世界でも通ずること」だと話してくれました。
彼女自身の経歴をたどると、五輪の不屈の精神と呼応するものが見つかるのかもしれません。(聞き手:黄恂恂)
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