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地震前の桑棗(サンザオ)中学校 |
学長の葉先生 |
四川大地震の発生から20日あまり経ちましたが、被災地ではまだまだ大勢の人たちが困難な生活を強いられ続けています。家が倒壊したりして避難している人の数は700万人、必要なテントや仮設住宅の数は330万世帯分とされ、満足に雨露をしのぐことができない被災者も数多くいるということです。国内の工場では24時間体制でテント作りを続けていますが、せめてテントだけでも、必要としている全部の人にいきわたるようにしたいものです。
ところで、中国では「塞翁失馬(塞翁が馬)」、日本では、「災いを転じて福となす」という言葉があるように、今回の経験をしっかり受け止め、今後の自然災害を備えて、色々と対策を講じれば、災害の被害を最小限に控えることができると思います。
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被害を受けた校舎 |
被害を受けた校舎 |
中国は二つの地震多発のゾーンにあります。環太平洋地震帯と地中海沿岸からヒマラヤ山脈を経て、マレー半島、インドネシアに達する地震帯です。今回の震源地に近い九寨溝には湖面350万平方メートルにも及ぶ「畳渓海子」という湖がありますが、それも地震の跡です。ここに「畳渓城」という要塞がありました。1933年の「畳渓大地震」で、数分間で500から600メートルほど陥没したほかに、周辺の山が崩れて、岷江の上流で11の堰止湖が作られたのです。また、周辺の21のチャン族の村も全部水没されました。
今回、学校が倒壊し、多くの子供や生徒達が下敷きになった悲しいニュースが相次いだ中で、一つ奇跡ともいえることがありました。綿陽市安県の桑棗(サンザオ)中学校では死傷者がゼロでした。この奇跡は校長の防災意識とつながっています。桑棗(サンザオ)中学校には二棟の建物があって、一つは80年代に建てられた不合格の建物です。今の葉志平校長が校長になった1997年から毎年少しずつ教育担当部門から資金を引き出して、休みを利用して校舎の補強工事を行って来ました。今回の地震では、建物に亀裂が入ったくらいで済みました。その結果、生徒達は広場に避難する余裕がありました。このほかに、万が一のこと、最初は火事を予想していましたが、その中で、校舎から逃げ出すための訓練を常に行っていました。そのために、各クラスの避難通路やスピード、広場での集合場所などをきめ細かく決めました。そして、毎週火曜日に安全教育の時間を設けて、色々な危険への対応や飲みものや食べものの安全などを教えています。最初は生徒や保護者達は受験に関係がないのに、授業の時間を利用してこのようなことをやるなんて、とんでもないと反対したので、訓練に休みの時間を利用するようになったのです。そんな工夫を重ねた結果、今回、一回目の地震の時、生徒全員がデスクの下に潜り込み、その後、いつものやり方で、全校2200名以上の生徒と100名を超える教師が違う場所から全員、広場の集合場所まで集まるまで1分36秒しかかかりませんでした。
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地震後、学校で積極的な防災防疫活動が展開 |
地震後、学校で積極的な防災防疫活動が展開 |
このような防災訓練は日本だと、一般的かもしれませんが、中国の場合、まだ稀なことです。防災教育の徹底化、防災意識の向上は今回の大地震についての反省の一つになるのではないかと思います。今後の中日交流には、このような内容も盛り込んで欲しいところです。
今回の番組は以上の話題を取り上げたほかに、いつものようにリスナーからのお便りを紹介しました。最後の「ホットホット通信」のコーナーでは、5月23日、24日に北京の民族文化宮大劇院で行われたCRI主催の「私たちは一緒にいる」というチャリティ公演の様子と公演で義捐金を寄付した日本の方へのインタビューをお届けしました。(東)
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