眼鏡を掛けているから、眼鏡に対し特別な関心を持っている。関西国際広報センターが日本ばかりか世界においても有名な眼鏡の産地である福井県を尋ねる第63回KIPPO関西プレスツァーを組織することを知り、喜んでエントリした。
東京駅から8時36分発の新幹線に乗り米原駅で降り、そして鯖江市に向かうJR特急しらさぎ5号に乗り換え、11時55分に鯖江駅に到着した。お馴染みのKIPPOの皆さんは駅で私達を温かく迎えてくれた。久しぶりの再会で皆楽しく挨拶を交わした。
福井県鯖江市は、面積約85平方キロメートル、人口約6万7000人の北陸の地方都市である。人口から言えば中国の郷(一昔の人民公社)に相当するところであるとしか言えない。しかし、このような小都市で、その生産した眼鏡フレームが日本国内市場の90%以上、全世界の約20%の生産シェアを持つ一大眼鏡産地になり、また、今高いデザイン力とブランド力を持つイタリアと、低コストでの大量生産を得意とする中国と共に、世界3大めがね産地の一つとなったことは想像しがたい。
眼鏡
紹介によると、福井県の眼鏡生産の歴史が古く、今から100年ほど前、福井県と鯖江市の境界に位置する文殊山の麓で農業を営んでいた増永五左衛門がその親族と共に農閑期の農村工業として眼鏡の製造技術を大阪から持ち込んだのは眼鏡産地の始まりだそうだ。
世界5本の指に入り、日本では最大手の眼鏡フレームの生産メーカ・株式会社シャルマンに案内された。シャルマンは業界でいち早く自社ブランドによる眼鏡小売店への直接販売を始めた。トヨタ方式の「ジャスト・イン・タイム」を取り入れ、ファッション性を重視し、付加価値の高い眼鏡の生産に全力を尽くしている。シャルマンはまた、ブランド製品の開発に情熱を傾けている。その一方外国からの委託生産もしている。ここで世界的に名の知られる眼鏡フレームを生産しているのを目にした。すべて手作業だ。眼鏡が出来上がるまで、デザイン、設計図作成。金型製作、部品製造、リム成型、組み立て、研磨、メッキ、組み立て、洗浄、最終検査という十一の製造工程が必要だ。
シャルマンの販売市場は海外7割・国内3割と輸出中心であり、また生産面でも中国での生産が日本の3倍、特許出願も外国への出願が多いなど、名実共にグローバル企業となったのである。ここ鯖江で「THE291」という言葉を耳にした。これは、地場メーカー十数社が参加して創設した産地統一ブランドだそうだ。激しい競争の中で、ブランド製品を開発し、高い品質の眼鏡を武器に業界が一丸となって販路を開拓していく狙いだ。一社の力は限られるもので、何社で手を携えてやれば必ず勝つものであるとはこういうことではないかと思う。中国の成語で言えば、団結は力なりということだ。
シャルマンは早くも1992年に中国の広東省に進出し、低価格の眼鏡フレームを生産している。また、大手のサンリーブも1997年に中国南部の江蘇省に工場を建設し、2002年には鯖江市の工場を閉鎖して、全面的に生産を中国に移管した。こうしたことにより、中国の眼鏡フレームの生産技術が高められ、ここ鯖江市で開発されたチタンフレームの加工技術も流出され、今では中国の企業も日本の加工設備を導入してチタンフレームを生産している。そこで安いコストで生産されたチタンフレームは日本市場に進出し、競争を一層激化させている。日本での眼鏡の生産は現在厳しい状況におかれ、一層の努力が求められている。
越前和紙
紙といえば、製紙法の発明者また改良者とも言われる中国の蔡倫を思い出す。中国四大発明の一つに製紙法が含まれている。
日本でよく使われている越前和紙の産地にも足を運んだ。越前和紙は、1500年といわれる長い歴史と伝統に育まれ、その高い技術と優れた品質により、手漉き和紙としては日本国内トップシェアを誇っている。
小畑製紙所を見学した。見学に行く前に、小畑社長から日本相撲協会が発行する相撲の番付表が手渡された。番付下順位の文字はかなり小さく、微小なごみでさえ印字の障害になるという。そこで色々と研究してやっと今のレベルまでにたどりついた。工場そのものは大きくはなく、素人の私の目から見て設備もそれほど優れた設備とはいえないが、そこで働いている職員たちの目は真剣そのものである。排水についての質問をした。小畑社長は浄水器から流れ出た排水を器に入れて見せてくれた。きれいだった。
紙漉によるオリジナルの和紙作りを体験させてくれた。これは一番人気を呼んだようだ。小さい時から紙に字を書いたりしてきましたが、しかし、その紙はどうやって作り出されたのか見たことがなかった。ツァーに参加した各国の記者は、現地の方の指導を受けながら童心に返ったような気持ちで和紙作りをはじめた。一見難しくないようだが実際にやるとやはり難しい。何とかできた。自分で作ったその和紙は大事にしまっている。そしてそれを見ると、福井県鯖江市のことを思い出し、新しいデザインのめがねフレームや和紙を生産する職員たちの一心不乱の姿を目に浮かんでくる。この思い出を作ってくれたKIPPO関西国際広報センターの方々のことを思い出したりする。
カメラ:kokusei
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