1959年生まれ。東京新聞、論説委員。著書に「反逆の獅子」、「江戸宇宙」など。昨年、ノンフィクション「呉清源とその兄弟」(岩波書店)を出版。本書では「打ち込み十番碁」で昭和最強となった天才棋士、呉清源とその兄弟の人生を取材、執筆した。
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呉清源氏は1928年、犬養毅から「日中親善」という使命を帯びて14歳で来日、昭和最強の棋士となった人物だ。著者の桐山さんは2000年、東京新聞の取材で初めて呉氏に会い、その後も30回ほどの聞き取りを重ね、夕刊紙面で90回にわたる回想録を連載した。
こうした中、桐山さんは呉清源氏の父が亡くなる前、3人の息子に与えた遺言に興味を引かれた。長男には習字の手本、次男には小説、三男には碁石と棋譜が渡されたという。長男は官吏に、次男は文学者に、三男は棋士に、という遺言だったが、3人の兄弟はその通り道を歩んだのである。「この瞬間、これはドラマになる」と思ったという。
それからは、本業の新聞記者としての仕事の傍ら、休暇を使っては中国各地やアメリカ、台湾まで足を運び、この本を書くために5年を費やした。「呉家の三兄弟の目を通して、日中の歴史はどう映るのか」、このテーマが長期にわたる取材を支えていた。
天津に在住している次兄にも実際に会いに行った。抗日戦争にその身を投じ、共産党員である次兄は、桐山さんに詩人としての作品を手渡してくれた。長兄は満州国官吏となり、皇帝・溥儀や溥傑の秘書となったため、戦後は台湾で暮らし、アメリカで亡くなった。長兄の息子を訪ねた時、古いボストンバッグの中から、呉家が全員で収まる貴重な写真が出てきたこともあった。取材の旅で、物語は確実に脈打ち始めていたのである。
取材の中、新たな広がりをもたらす出会いもあった。大連からハルビンと向かった長い列車の旅を終えて北京に立ち寄った際、中国を代表する映画監督、田壮壮氏と出会ったのである。監督は呉清源氏の映画の撮影を計画しており、桐山さんは当時東京新聞で連載していた呉清源氏の「回想録」を毎週北京に送った。田監督はそれを参考にして映画の脚本を書き上げ、昨年2004年にクランクアップを果たしている。
さて、この本を読み終え最後に心に響くのが、呉清源氏が強調する「調和」という考えだ。囲碁であれ、国際政治であれ「調和」のこそがめざす世界であるという。中国を侵略した日本での生活をあえて選び、漢奸との批判にも耐えた呉清源氏。天才棋士として大きな影響力を持つ自らを、日中という盤上の一石としてその「調和」に役立とうとしたのではないか。日中間の溝が日々深まる今、深い示唆を与えてくれる1冊である。(日中メディア研究会 満永いずみ)
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