弁護士の良識を呼び覚ました「家永教科書訴訟」
1960年代、日本では家永三郎氏が、教科用図書検定(教科書検定)に関して、日本国政府を相手に起こした一連の裁判「家永教科書訴訟」が社会で大きな注目を集めた。初提訴より終結まで計32年を要し、家永氏が一部で勝訴した。当時、日本の多くの裁判官や弁護士、学者は反省を促された。そのため、1990年代初め、日本では、日本政府に対して謝罪や賠償を求める中国の戦争被害者の訴訟をサポートする弁護士が登場。調査のため、自費で中国を訪問し、資料を集めた。そして、中国の証人が来日し、訴訟に参加するための全ての費用を負担した。
「人の傷跡を見た限り放っておけない」
中国人をサポートする弁護士団の初期メンバーの一部は既に亡くなっているものの、その多くは今なお第一線で活躍している。ただ、弁護士の出入は激しいという。南典男弁護士は、「当初、弁護士の多くが、使命感や責任感から訴訟に関与していた。今では、中国の当事者と家族のような友人関係になり、見て見ぬ振りなど決してできない」とし、「被害者の多くが、苦痛を心の底にしまいこみ、他の人に話そうとしない。しかし、日本の弁護士団を信頼してくれるようになり、心の痛みに耐えながら、悲惨な過去を思い出し、それを話してくれる。人の傷跡に触れておきながら、放っておくことなど、私にはできない」と強調した。年齢を見ると、日本の弁護士団のメンバーは 、60歳以上が約7割。40-60歳が2割、40歳以下が1割を占めている。全体的に見ると、高齢化しており、後継者がいないというのが大きな課題だ。その他、昔は弁護士と言えば、「高収入」の職業だったものの、1980年代後半から、弁護士が激増。若い弁護士はなかなか仕事も取れず、生活を維持するのが難しい弁護士も出てきた。そのため、ボランティアで弁護士団に参加するのも難しくなっている。
右翼の妨害を受けてもあきらめず
このような日本の弁護士団は、中国人にとっては「友人」であるものの、日本国内では、難しい立場に立たされている。時には「左翼弁護士」のレッテルを張られ、右翼の攻撃にさらされることさえある。大森典子弁護士は取材に対して、「よく知っている人以外には、中国人の日本政府に対する訴訟を手伝っていることを、自分から話すことはない。言っても、理解してもらえないし、やめるよう説得されることもある。ある意味、『孤独』を感じることさえある」と肩を落とす。大森弁護士は、慰安婦問題について地元の人と意見を交わす機会を設けたり、写真展や映画の上映なども行っている。現在、多くの日本人が過去の戦争で日本がどんなことをしたのかを知らず、興味も示さない。「このような方法を通して、少なくともまず一般人に歴史の真相を知ってもらいたい」と大森さん。
中国人が信頼する日本の弁護士
初期、中国の戦争被害者やその家族を日本に招き、出廷してもらう際、交通費や宿泊費、通訳費などの全てを日本の弁護士が負担していた。一方、今では、多くの中国人が自分でそれら費用を負担することができるようになっている。近年、来日する中国人が増加し、日本の弁護士に関与してもらう必要のある問題もある。そのような時、多くの中国人は、見返りを求めず、中国の戦争被害者を全力でサポートしてくれる日本の弁護士団に助けを求め、日本での法律関係の事務を託している。中国人にとって、これら日本の弁護士は信頼に値する。
その他、戦争の賠償問題に注目している中国の専門家も増加している。そのような専門家は、日本の弁護士が当事者と連絡を取ったり、証拠捜しの現地調査を行ったり、資料を収集して整理したりできるよう自発的にサポートしている。南弁護士は、「中国の方は、私達にとって力強い後ろ盾。訴訟の道のりは険しいものの、あきらめることを考えたことは一度もない。この20年経験や教訓を積み重ねてきた。必ず勝つことができる」と意欲に満ちる。(編集KN)
「人民網日本語版」2015年8月25日
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