道路に出ても方向が違うので、そのことをいうと立体交差で首都高速に入るためらしいことが判ったがこれも替わったことである。窓からの眺めはまったく替わってしまい、昔の面影は殆どない。大通りには豪華なホテルや、高層ビル、建設中の高い建物、アチコチに立つタワークレーン、世界的に有名な企業等がひしめき合っているし、車の洪水、やはり20年の歳月はこんなにも変貌させるものなのか?昔の自転車の洪水は、広さはどこへ行ったんだろう。しばらくして首都高速を離れ、一般の道に入ってきた。しかしそこでも見たものはやはり商店街、4ー5階建てのビル群である。昔自由市場が在ったと思われるところもまったく変わってしまい、全然判らない。と突然駐車場に入って行ったら目の前にあの懐かしい建物が現れた。そう私の担当した外来棟、のちに北京駐在員所長になったT君の担当した10階建の入院棟がまだ立っていたのだ。早速タクシーを待たして、中へと入って行くがとにかく凄い患者数で受付に並ぶ長蛇の列だけで圧倒されてしまった。しかし事務所長室は判っているので、まだいるかと思い訪ねたが、生憎と不在だった。そこで、他棟も見ようと歩き出したが立入禁止で入っていけなかった。残念だが、しかたがないので、外来棟をアチコチ見て廻ったがあちらこちらが変更されて変わっていた。手術室なんかも、無くなっている。きっと他へ移動しただろう。外へ出て写真を撮ったあと周りを見たが、以前はまったくの畑だったところは全て商店や建物が密集していて昔の面影はどこえやら?建設当時は凄い大きなプロジェクトだと思っていたが、周りがあまりにも変わってしまったので、何か小さくなってしまったみたいだった。時間もきたのでホテルへと戻ったが、運転手と車について色々話したが、その中で韓国の現代(ヒュンデイ)がもっとも人気が無いと言っていた。タクシーには圧倒的に多く使われているが、安かろう悪かろうでとにかく故障が多くて中古車市場に溢れているとも言っていた。人気車種は日本車らしい。
ホテルへと戻り皆を待つ間、売店で出くわした「やっぱりそうか!」を話しておこう。
タバコが切れたので買おうと思い、ロビーの一角にある売店へと足を運んだ。女性店員が2人いて、その内レジの前に座っている子が何か盛んに電話相手と言い合っている。けっこう大きな声だなぁと思いながらも、タバコを選びそれをレジに持っていき金と一緒に差し出したが、知らん振りで相変わらず相手と言い争っている。そこでもう1人に差し出したが私の係りではないと言って応対しようとしない。しかたがないのでしばらく待っていたが益々いきり立って、買い物客はほっぽりぱなしである。その内にもう1人の西洋人が入ってきて彼女も品物をさしだしたが、相変わらずだ。もうあきれ返って二人で顔を見合わせて苦笑いしてしまった。結局タバコは買えず仕舞い。まだ20歳ぐらいの気の強そうな女である。ここでふと昔のことを思い出した。友誼商店ではさすがに客応対もまあまあだったが、一般の百貨店や商店で物を買う時など常に「このやろう!」と思ってつたない中国語で怒鳴ったりしたものだ。まずショーケースを覗いてこの品物を見せて欲しいというと
客がいっぱい並んでいるにもかかわらず、売り子達は椅子へ座り込んでお茶なんぞ飲みながらなかなか立とうとしない。何回も呼びかけるといやいやながらこちらへ来てケースの品物をとると、ケース上に放り投げて勝手に見てくれで何も言わない。そこでも我慢してやっと品物が決まると、売り子はおもむろに伝票を書いて「勘定書に持って行け」といい、品物は売り上げ棚にいれてしまう。もう開いた口が塞がらなくなってしまったが、それでも安かったので、それと人に頼まれた物だったので、しぶしぶ払い伝票を持って先ほどのカウンターへ行って伝票を見せると「没有(ない)」と言っている。先ほどの棚をみるともう品物がないので「どうしたの?」と聞いたが女性は応対してくれようとしない。脇でそれを見ていた親切そうな青年が「受取カウンターが向こうにあるからそこへ案内してあげるよ」と言ってくれたので彼に付いて行き、そこで伝票を見せるとまたもや没有といっている、そこでもう一度カウンターに戻り探してもらったら、なんと運搬用ボックスに入っていて持って行ってないだけだった。仕方がないので10分ほど待っただろうかやっと係りが持ってきて、なにも言わずにさっさと他へいってしまった。そこでやっと品物を受け取ることが出来たが、最後にも係りの女性はサッサと袋詰めして、カウンターへ放り投げて、「有難う」「お待たせしました」の一言もなし。
こんな20年前の状況が現在も継続されていてやはり「社会主義の弊害」を思い出した。あの時の若者に育てられた子供がちょうど20歳台だから、やはり親の背を見てしっかり学習してるな!とがっかりと安心?と。これでほんとうにオリンピックが迎えられるのか?
中国ファンには申し訳ないけれど。
皆が集まったのでバスで後海散策と紹興料理を食べに出掛けた。バスが後海付近にさしかかると、昔の記憶が蘇ってきた。昔はホテル住まいだったので休日には、カナダ人やアメリカ人達とよく自転車でこのような一般市民が暮らしている胡同(フウトン)へよく来たものだった。
バスを降り後海の池の周りを散策する。夕方なので大勢の市民が散策したり、蝦釣りをしたり、泳いだりしている。こういう風景を見ていると、昔と変わりないなぁと思う。
胡同の路地を散策したりして時間になったので、近くのレストランに行った。一般の住宅を改造したような作りである。皆で離れ屋に入ると何か紹興地方の雰囲気だ、きっと期待できるぞ!全員で乾杯した後料理が運ばれてきた、全体に野菜が中心で食べやすいし、何時も日本で食べている中華とは一味も二味も違う。四川の様に辛くは無いし、山東、北京の様な飾付けや豪華さも無い。しかし味はグーだ。その後老師が中国茶を出してくれたがこれがまさにピッタリ!合っている。どうしてこうも昼間の店員と夜の料理の美味さがこんなにも違うんだろ。ご馳走様でした。
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