先月、出張のため西安を訪れました。西安は古い都として、名所旧跡がいっぱい残されています。その中で、私が一番関心を持っているところは、青龍寺です。青竜寺は今の西安市西影路鉄炉廟村北に位置しています。
仏教密宗の有名な寺院です。この寺院が隋の開皇2年(582年)に建立されたもので、初めに霊感寺と称されましたが、唐の武徳4年(621年)から、一時退廃しましたが、唐の竜朔2年(662年)観音寺として再建されましたが、唐の景雲2年(771年)、青龍寺と改めて称されました。
唐の時代は仏教の繁栄期でした。唐の有名な高僧・恵果が主催していた青竜寺は当時の密教の重要な道場の一つとして、一時盛大を極めました。仏法を求めるために内外から多くの僧侶がここへ訪ねてきました。特に日本の僧侶が中国の仏教から受けた影響が大きかった。日本仏教史における「入唐八家」の中の六家「空海、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡」が前後にして、青龍寺で仏法を学んだことがあります。その中にはとりわけ密教阿闍梨嗣を受け継いだ空海は業績抜群でした。紀元804年、日本国遣唐使について、長安を訪れた空 海は初めに西明寺に住み、後に青龍寺の恵果大師に師事して、密教を学びました。紀元806年帰国して、日本で真言宗を創立し、日本「東密」の大師と呼ばれています。空海は仏教の布教と同時に、中国の文学、書道、天文、医学などの知識を日本に伝え、中日両国の文化交流のために大きな貢献をしました。
中日両国の文化交流に優れた貢献をした空海大師とその先生の恵果大師を記念するために、中日両国は共同で1984年に青龍寺遺跡に恵果空海記念堂、空海記念碑、青龍寺庭園を建立しました。恵果空海記念堂の中には空海と恵果の説法像が並べられています。この記念堂は大雁塔の西側の石門の横木に線彫されている唐代の殿堂図と寺院の本堂の構造を参考にして建立されたものです。工事中に古青竜寺の門址、塔址、殿堂の遺跡から出土した唐の蓮花模様の煉瓦、瓦當、鴟尾破片、鍍金小仏像、石刻仏像、唐三彩の皿・碗などがその中に展示されています。
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