皆さん、こんばんは。唐詩は中国ばかりでなく世界の文学史上で崇高な地位を持っており、中国の詩歌の発展がそれにより最高峰に達しました。その中に、「唐詩三百首」は中国の優れた文化遺産の一つとして、英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語など様々な言語に訳され、国内でも蒙古語、朝鮮語など少数民族語にも訳されています。
ここ数日、ウイグル族の翻訳家ヤセン・アワズ氏が翻訳した「唐詩三百首」ウイグル語版が正式に出版されました。
今日は新疆ウイグル自治区政府文学・歴史館で特別研究員を務めているヤセン・アワズ教授についてお話しましょう。
今日の賞品付きクイズのテーマ、新疆の有名なウイグル族翻訳家はこのほど有名な著作を翻訳しました。その名前は何ですか。
3月のある日、ウイグルにある民族的レストランで眼鏡をかけた1人の老人が漢文の「唐詩三百首」を読んでいます。この老人は「唐詩三百首」ウイグル語版の翻訳家ヤセン・アワズ教授です。
ヤセン・アワズさんは1940年に新疆カシュガル(喀什)地区の英吉沙県に生まれ、12歳の時に、父親が病気で死去しました。ヤセンさんは中学校の時から文学に熱中し、詩歌の創作をも試みました。いくつかの作品は地元の新聞に掲載されました。
高等学校を卒業した後、ヤセンさんは推薦によって北京のある大学に中国の標準語を勉強するために入学しました。この間、ヤセンさんは中国の古典文学と近代文学を大量に読みはじめ、特に唐詩に熱中しました。
ヤセンさんは「私は唐詩を読むと、神秘な国に入ったような感じがしており、目の前に様々な美しい絵画が現れた。山水、人物、物語など、いずれも古色がただよっている。同時に清新で明るい。しかし、これらの美しい詩に対しては、その意味がよく理解できない。すると私はウイグル版の訳文を捜しまわった。当時、より良い訳文はなかった。それらの訳文は詩の境地の美に乏しいどころか、内容も間違ったものがあり、参考にならなかった。その時から私は詩の翻訳を試みた。それは唐詩の翻訳に基礎を定めた」と述べました。
27歳の時、ヤセンさんは北京民族出版社に務めることになりました。自由な時間になると、ヤセンさんは図書館などで資料を調べ、唐詩を研究しました。出版社の仕事の中で、いつも作品の中で引用された唐詩などを翻訳しなければならず、その時から、ヤセンさんは詩の翻訳をしはじめました。
ヤセンさんが翻訳した初めての唐詩は唐代で有名な詩人孟浩然の「春暁」です。翻訳は有名なウイグル語翻訳学家のクリム・ホージャ氏の称賛を得ました。
初めのころは、ヤセンさんは分りやすい詩を翻訳しましたが、出版された後各界の注目をあびたと同時に、ヤセンさんが翻訳した唐詩が一部の中学校や大学のウイグル語教科書に選ばれました。
しかし、唐詩の翻訳に熱中することは家族の支持や理解を得られないことや仕事に疲れたため、ヤセンさんは重い肝炎にかかりました。しかし、治療期間中にもヤセンさんは休まずに、唐詩の翻訳を研究しました。
「その時、私はいつでも唐詩の本を持ち研究していた。唐詩は中華民族の優れた文化遺産としてウイグル語の訳本があるはずだ。この信念を私はずっと堅持していた」と述べました。
1994年、ヤセン・アワズさんは故郷のウイグル自治区に帰りました。そこで、ヤセンさんと同じように唐詩を愛好するウイグル族の娘パリワンコリさんは、ヤセンさんの妻となりました。パリワンコリさんは「唐詩三百首」の翻訳を非常に支持しています。妻の理解を得て、ヤセンさんの十数年の研究を経て、今年ようやく「唐詩三百首」ウイグル語版の出版にこぎつけました。
この「唐詩三百首」ウイグル語版で、ヤセン教授は李白、杜甫、白居易ら唐代の著名な詩人62人の詩310編を選んで翻訳しました。訳文は唐詩の気骨と詩人の異なる創作風格を充分に具現しました。
この訳本の出版は社会各界で強く反響を起こしました。ヤセン教授は、「体の都合が良ければ、西部の経済、文化、歴史を紹介する唐詩を百首翻訳し、ウイグル族と漢民族の間の文化交流を深めたい」と述べました。
今日の賞品付きクイズのテーマを繰り返します。新疆の有名なウイグル族翻訳者ヤセン・アワズ氏がこのほど有名な著作を翻訳しましたが、その名前は何ですか。
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